エピソード12
「ははは。もう始まっていますよ。」
「え?どういうことですか!?」
おじさんの手は何も動いてないし、手以外の部分も、何も動いてない…
「『添い寝』という施術なのです。」
「添い寝!?」
「そうです。特殊なことは何もしていません。
ただただ、私の体温で、お嬢さんを温めているだけです。」
「え?え?」
「ははは。順を追って説明しましょう。
お話をしながら、施術を続けましょうね。
お嬢さん?
地球の気候区分の中で、最も植物の生い茂る地域は、どこでしょう?」
「え?えー…、熱帯雨林?」
「そうです。熱帯地方です。常時30度を超えるような、常夏の地域ですね。
30度強…つまり、人肌程度の温度というのが、
生命の成長や治癒を、最も効果的に助長するのです。
その、熱帯地方のような温度環境を作るのに、
添い寝や抱擁という行為が、最も効率が良いのですよ。
最もシンプルで、最も安上がりです。何の器具もスキルも要りません。
低温やけどを心配する必要も、ありません。」
「そう…ですね。」たしかに、そうだ。
「健康維持というのは本来、高いお金を払わなくても可能なのです。
高等技術も最新設備も不要ですし、何年も学校に通う必要は、ありません。
なにしろ、原始の時代から、人々は、健康維持をしてきたのですから。
原始時代の彼らは、シンプルなことしか出来なかったはずです。
私たち人間は、知恵の実を食べたそのときから、
そんなシンプルな暮らしを見失ってきました。
快適さや怠惰を得るために、一生懸命に知恵を絞り、
高度な器具を発明したり、高度な技術を磨きました。
すると、いつの間にか、
お金が無くては何も行えなくなってしまったのです。
お金が無くては、何も癒せなくなってしまったのです。」
「はぁ…。」
「科学医療を探求することも、人類の進化の一翼として、有意義な面があります。
しかし、それと同時に、シンプルなものを見失ってはいけないのです。
だから私たちは、ハーブやアロマのようなナチュラルな医療に目を向け、
それを経由したら、
更にもっとシンプルでナチュラルなところを、思い出す必要があるようです。
添い寝治療の真髄に気付く手がかりは、
実は、ずっと身近なところにあり続けていました。
乳母と乳児に関する調査結果を、耳にしたことはありませんか?」
「どんな調査ですか?」
「乳児に栄養を充分に与えても、
乳母のぬくもりから隔離すると、1ヶ月で死んでしまうのです。
すると、乳母の抱擁というのは、
ひょっとすると、栄養以上に重要な健康維持機能を持つのです。」
「あぁ、なんか、聞いたことあります。」
「こうした話を垣間見たとき、
複雑な研究をいったん止めて、シンプルなところに立ち返らなければなりません。
『積み上げてきた努力は、全て無駄だったのかもしれない』というその可能性を、
謙虚に、受け入れなければなりません。
ですから、
常に成長し続けなければならない資本主義経済社会のもとでは、
このようなシンプルでノーコストな健康法というのは、
脚光を浴びづらいことでしょう。誰かがこれを知っても、隠ぺいしたがるでしょう。」
「なんか…ものすごく汗をかいてきたんですけど…?」
「えぇ、私もレイキをたしなんでいるので、その影響があるかと思います。
お嬢さん自身も、レイキを発していますし。」
「つまり、レイキが必須ということ?」
「いやいや。レイキはオマケにすぎません。レイキは回復を助長しますが、
かといって、この療法の根幹は『ぬくもり』にあります。
人肌程度のぬくもりであれば、
レイキを持たない人でも、毛布をかけて抱擁することで、充分に生み出せます。」
陽菜は、失礼かもしれないけど、今思ったことを素直に口にしました。
「この療法を世界に発表したら、
セクハラ医者が増えませんか?
女の人の裸が目当てで、服を脱がせたりベッドに寝かせたり、しませんか?」
「ですから、現状では発表は出来ないのです。
こうした医療法は、医者など権威者の側から発信・普及させるのではなく、
大衆個人の側から、普及させていく必要があるのです。
なにしろ、何のスキルも要らない医療ですから。
皆さんが、ご家庭で、恋人や親子の間で実践し合えば良いのです。
実際、最初のうちは、そうした近親者が行うのが良いでしょう。
この医療が成果を出すには、患者がリラックスしていることがとても重要です。
患者がリラックスするためには、
添い寝している者に対して、絶対的な信頼感を抱いていることが不可欠です。
ですから私は、今こうしてデモンストレーションをするに当たって、
お嬢さんに何度も、『宜しいですか』と尋ねたのです。
『宜しくない』と言われれば、すぐに取りやめるべきです。」
「とにかく、家族や恋人とやらなきゃいけないんですね?」
「そうとも限りません。
信頼してもらえていれば良いのです。
ですから、医者やセラピストを名乗る専門家であっても、構わないは構わないのです。
患者さんがその施術者を信頼できるかどうか、そこだけが重要です。
実際、そのようなセラピストが活躍していた時代もあります。
古い文献によりますと、
古代ギリシゃや古代インドでは、そのような事例があります。
王の側近には、添い寝治療の専門家が常に配備されていました。」
「そ、それは妾(めかけ)のことでは?娼婦でしょう?」
「娼婦でもあり、治療家でもあったのです。
高度に栄えた文明において、娼婦というのは、ただのあばずれではなかったようです。
医療の知識があり、辛抱強く添い寝し続ける忍耐力もあった。」
「辛抱強く添い寝…?」
「そうです。乳飲み子の母親なら知っていることでしょう。
相手が眠るまで、相手の痛みが治まるまで添い寝し続けるのは、
そう簡単なことではありません。そうとうな忍耐力、そして慈愛が必要でしょう。
娼婦の面でも、同じです。
高い報酬ももらわずに愛撫し続けられる女性など、そう多くはないはずです。
セックスの好きな女性は多かれど、尽くし続けられる女性はそう多くはない。
ゼウスやシヴァの妾には、そのような献身的な女性が選りすぐられていたそうですよ。
ゼウスやシヴァは、
彼ら自身もまた、添い寝治療のスペシャリストであった。
彼らは大勢の女性と床を共にしましたが、
必ずしも、彼らの欲求でとっかえひっかえしたわけではないそうです。
彼らに治癒や癒し、セラピーを求めて戸を叩く女性が、大勢いたのです。
彼らはおよそ誰にでも、愛情深く尽くしたのです。」
『碧い鳥 -最高の医療は何だ?-』