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エピソード1 『おばあちゃん子の輪廻』

プロローグ






私は、いわゆる「おばあちゃん子」である。

「おばあちゃんと異様に仲良し」というタイプのおばあちゃん子ではなく、

「おばあちゃんに育てられた」というタイプの、おばあちゃん子だ。

「おばあちゃんに育てられたんだよね」という身の上話をすると、

まぁ十中八九、「かわいそうに!」とか、「大変だったんだね!」とか、

とにかく、みんな眉をひそめて同情してくる。

しかし、当の私としては、

自分をかわいそうだと思ったことは1度か2度しかないし(1度も無いわけでもない)、

友人たちより大変だと思ったことも、ほとんど記憶に無い。

むろん、「不幸だ」なんて思ったことは、ほとんど1度も無い。






エピソード1

なぜ私が、おばあちゃんに育てられたか?

話は、そこから順にはじめようと思う。


私にももちろん、母が居る。父も居る。

6才頃までは、およそ普通に育てられてきた。

母は、私の出産直前に趣味と仕事を中断し、

母乳とおんぶ紐で、私を愛情深く育児してくれた。…記憶は無いが、写真と噂話は残っている。

父は普通の商社マンで、

平均的な給料を稼ぎだし、それをきっちり母に奉納していた。


しかし、私が小学校に入るちょっと前くらいになって、

母は急に、家から居なくなってしまった!

クラシック・バレエの振り付け師になりたいと言って、遠くフランスに飛んでしまったのだ。

白鳥の「おまる」を卒業したばかりの私には、母を追えるわけもなかった。


母は、私を出産するまで、クラシック・バレエの劇団に居たのだ。

天才の類ではなかったが、とてもイキイキと楽しそうに踊っていた。

しかし、

妊娠し、体型と筋力が崩れたことにより、

ダンサーとして第一線に立つことは、諦めたらしかった。

ただ、「振り付け」という裏方的なスタンスであれば、

自分でも続けられると考えたらしい。


養育や主婦業を放棄することは、一般的には大きな批判の的になる。

もちろん、いぶかしげる親族は、大勢いた。今でも愚痴っている者がいる。

しかし、最も身近な存在である夫(私の父)は、母の夢を否定しなかった。

なにしろ父は、母がバレリーナであることを万事承知のうえで、好意を持ち、結婚したのだ。

「夢の第2幕を始めたい!」という母の切望を、父は寛大に受け入れた。

かといって、子育てに自信のあるわけではない父は、

娘の養育協力を、母の母に要請したのであった。私のおばあちゃんである。

父は、自分の給料のうちから、毎月10万を妻のフランス生活に工面し、

さらに毎月10万を、おばあちゃんに託した。私の養育費として。


『おばあちゃん子の輪廻』

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