エピローグ
私の家のリビングには、大きな絵が飾られていた。
私のひいひい…おじいさん、ユベールの描いたものらしい。
とても大きな絵。
漆黒の闇夜に浮かぶ見事な満月を、
一人の美しい人魚が、憂いの瞳で見つめている。
もちろん山ではなく、街でもなく、どこまでも広がる海の、岩礁の上。
とても美しく、とても見事な絵であったけれど、
ユベールおじいさんは、画家ではなかったらしい。
キャンパスではなく、人の命と真っ向から向き合う、医者をやっていたらしい。
忙しく患者たちの手当てをするかたわら、
たまの休みの日につつましく、絵筆を握っていたらしい。
「絵は気晴らしにすぎんよ」それがユベールおじいさんの口ぐせで。
だから、この人魚の絵を描きあげるのにも、10年近くかかったらしいし、
油絵としてきちんと仕上がった作品は、ほんの数点しかなかったらしい。
子孫の誰が決めたわけでもなく、
この人魚の絵は、我が家系のリビングに鎮座することに決まり、
それは何度かの引越しを経た今でも、受け継がれている。
そして、プロ並みの腕前があったのに画家ではなく医者として生きた、
そんなユベールおじいさんの生き様も、語り継がれてきた。
エピソード1
私の両親も、ちょっと変わっている。
とても仲が良く、同じ職場で働いているけれど、違う時間に別々に出ていく。
父は7時半に出て、母は7時45分に出る。
二人の職場は、病院なのだ。ユベールおじいさんと同じで。
父は医者であり、母は看護師だ。
医者と看護師がいちゃいちゃと馴れ合っているわけにはいかないので、
両親は、家を一歩出たら、上司と部下の関係に切り替えている。
職場では、父が上司で母が部下のような関係にあるけれど、
家に帰ると少し違う。
父は、母方の苗字を名乗っている。母方の家系の伝統に従っている。
婿入り夫婦ということだ。
普通、医者と看護婦が結婚するとなれば、「玉の輿」と表現される。
「上手いことたぶかしたわね!」などと、看護婦の妻は揶揄される。
しかし、両親の馴れ初めは、そうではないらしい。
父が母に惚れたのだ。名家の医師が婿入りを決断したのだから、相当の思いだったろう。
母もまた、医者の財産を目当てに結婚を決めたわけではないのだ。
父が惚れたのは、
厳密に言えば、「母」というよりも、「母の家系」であったらしい。
あるとき、病院の職員で忘年会のようなものが開かれることになった。
母は広い家を持っていたので、
そのパーティ会場に、家のリビングの開放を申し出た。
そうして同僚たちが母の家に集まることになったが、
もちろんその中に、父の姿もあった。
父は、ユベールおじいさんの描いた人魚の絵を見て、
脳天を打ちのめされるような衝撃を感じたらしい。
さらに、ユベールおじいさんの生き様について説明を受けると、
それこそ絵の前に、ひれふしてしまう勢いであったらしい。
母は、少なからずユベールおじいさんの感性を引き継いでおり、
自然と父は、母そのものにも好意を抱くようになっていった。
しかし母の両親は、二人の恋に難色を示した。
母の家系は名家で、苗字を変えられない宿命にあったからだ。
父もまた名家であるから、その折り合いが無事に済むとは思えなかったらしい。
結婚騒ぎになる前に破局してくれと願ったが、
残念ながら2人の恋は、すこぶる順調にはぐくまれていった。
父にとって、母との結婚は、
己れの名家の係流を放棄するならず者を意味したけれど、
父は家系の誇りよりも、母と人魚を選択したらしい。
スペインのある大きな都市に、
ガルシア一家の礎は誕生した。
時は1800年代の中盤のことだった。
『人魚たちの償い』