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エピソード20 『「おとぎの国」の歩き方』

  • 執筆者の写真: ・
  • 2023年3月4日
  • 読了時間: 3分

エピソード20


僕は、肝心なことを思い出した。

「あのさ?お爺さん。

 何か、食べるもの頂けないかな?お金なら払うから。」

「心境お察しはするが、食べないほうが良いな。」

「え?急にイジワル言うの?」

「意地悪ではない。

 カメレオンに向かうのであろう?

 おそらく、食べられない日が続く。

 今食べてしまうと、また空腹感にさいなまれることになる。

 食べないほうが楽なんではないかと、わしは思うが。」

「そういえば!

 よく考えてみたら、そんなに空腹を感じてないよ。マヒしたのかな。」


その日は、アジナの村で1泊させてもらうことになった。

久しぶりに、家の中で布団かぶって寝たよ!

もちろん、大した家じゃないけどね。原始的な家だよ。

シャワーもナイし、電気も通ってないんだ。この村は。

でもね、いいモンだぜ?

電柱や電線の張ってない景色を見ると、

なんだかとっても落ち着くよ。ベルトはずした後みたいにさ。


夜まで時間があったから、アジナの村を散歩した。

この村には、子供がぜんぜんいない。若い人もぜんぜんいない。

なぜなのか尋ねてみたら、明確な理由があるらしい。

「若者には若者の役割があり、老人には老人の役割がある。」

だってさ。

若いうちは、もっと西の、ティンプーとかそっちのほうで暮らすんだ。

子供育てたり、ダンスしたり、お参りしたりして暮らすんだ。

それで老人になったら、アジナに導かれてくるんだって。

誰が導くの?ダキニだ。

瞑想とか修行をしながら生きたなら、ある日、不思議な声を聞くようになるんだよ。

その声の主が、ダキニらしい。

キリスト教で「天使」と呼ばれているものを、仏教では「ダキニ」と呼ぶらしい。


村の高名なラマ(高僧)は、「家族の世話に励みなさい」と言う。

けれども、ダキニは、

「家族を捨て、富を捨て、名声を捨て、旅立ちなさい」と言う。

正反対だな。どうする?

ラマの言葉よりもダキニの言葉に従った人が、アジナに居るってわけさ。

それまではいつも、ラマの教えに忠実だったのに、従順だったのに、

そのときだけは、ラマに逆らうんだ。

逆らうっていうか、ラマよりもダキニの言葉を優先するんだ。

人生ってのは時々、

親や先生に逆らうべきときがあるんだよ。

そうさ、知ってる。



あ、そうそう!

アジナで、あの婆ちゃんに再会したよ!

「あらあんた、遅かったわね!」なんて、涼しい顔して言ってら。

あの婆ちゃん、普段はアジナに住んでるんだよ。

んで、ダキニからお声が掛かったときだけ、

あのダライラマ村に行くんだ。100キロも歩いてさ。150キロかな。

つまり婆ちゃん、

僕のためにダライラマ村に来てくれてたんだ。

涼しい顔してるけど、スゴいことやってる。高齢の婆さんなのに。


家族捨ててアジナまで旅してきた人たちにしてもそうだけど、

誰が謝礼をくれるんだろう?

誰もくれないよ。何も貰えない。

何の見返りもないのに、

他人のために、死んじゃうかもしれないことに、体張るんだ。

宗教ってのは、要するにそれの練習らしいよ。

どの宗教にせよ、

せっせと神棚を掃除したり、毎日お供え物したり、するでしょ?

神棚そのものが100万円もしたりするし。

ああいうのはつまり、「自腹切って誰かに尽くす練習」をさせられてるんだって。

ご利益があるってわけじゃないんだ。何の利益もない。

利益を期待してやってんなら、まるで意味ナイんだよ。

お墓を掃除することよりも、お寺にお参りすることよりも、

誰かを助けてあげることのほうが、大事なんだよ。そっちが本題なんだ。



『「おとぎの国」の歩き方』

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