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エピソード24 『「おとぎの国」の歩き方』

  • 執筆者の写真: ・
  • 2023年3月4日
  • 読了時間: 3分

3日目。朝からシトシトと雨が降ってる。

「舗装されていない山道を、雨の中行くのは危険だ。」

という爺さんの判断で、今日は休息日になった。

体がクタクタだったから、ちょうどよかったよ。

たまには休まないと、さすがにくたばる。

「たんぱく質を摂ったほうがいいな。」

爺さんは、そうつぶやいたかとおもうと、

僕を置いてどっかに行き、川魚を釣って戻ってきた。

焼き魚、美味かったよ。

焚き火も、冷えと疲れにありがたかった。


今日も爺さんはよくしゃべる。

「ブータンに観光しに来る外国人は、『幸せ』を求めている者が多い。」

「幸せ?」

「そうじゃ。ブータンは、『幸せの国』と言われているらしいの。」

「ああ、そうだよ。聞いたことある。」

「ブータンは幸福の国と言われているらしいが、

 要は、『何に幸福を感じるか』そこに違いがあるだけだ。

 別に、ブータンという国が特別恵まれているわけではない。

 それに、観光客が立ち寄るような観光地には、

 『幸せの国』としての真髄は、無いだろう。

 観光地化してしまった町は、すでに先進国と同じ病に陥っているからだ。

 新しいパソコンが欲しくて、そのためにせっせと観光客をだましている。

 幸福に感じていないから、新しいパソコンが欲しくなるのだ。

 ブータンの田舎に住む者たちは、およそ何も求めていない。

 まるで戯れ合う仔犬のごとくだ。

 そばに遊ぶ仔犬がいて、近くに母犬の乳房があるなら、それでもう幸福だ。

 ドッグフードを求めて労働に出たりはしない。

 ドッグフードを求めて働くよりも、母の乳房を飲んでいるほうが幸せだ。そう感じている。

 ブータン人も同じだ。

 友と家族が居て、太陽とモモ(餃子)と家があるなら、それでもう幸福だ。

 モモと家を得るだけなら、大した労働は要らない。大した苦痛も溜まらない。」

爺さんは、ほくろをポリポリかきながら言った。

雨は昼前にはあがった。

良かったよ。明日は歩けるだろうって。

僕は、日当たりの続く場所を見つけて、臭っさいクツを干した。



ところで、

爺さんは、婆さんほど速足じゃないけど、それにしたって足腰が強い。

100歳くらいはいってると思うけど、毎日毎日山を歩く。

食事すら摂らずに、毎日毎日歩く。キセルはときどき吸う。

何でこんなに強いんだ?

「ひょっとしてお爺さん、魔法使いとか仙人とか?」

僕はたまらず、尋ねてみたよ。

「ほっほっほ!ワシはただの人間じゃ。龍でもない。

 魔法に見えるか?

 たしかに、迦楼羅(かるら)にもなると不思議な力を持つ者も多いな。

 サイババは、瞬間移動をしたというし、手から金粉を出したという。

 だから求道者は、ラマや聖人に夢中になる。

 しかしな?

 魔法に見えるものはたいてい、何かしら種がある。

 すごく原始的で、そうじゃなくても現実的な仕組みじゃよ。

 なぜ、わしがこんなに頑強に歩けるか?

 簡単なことじゃよ。山歩きで鍛えたからじゃ。たくさんたくさん、歩いてきた。

 わしほどではないしても、アジナの老人は皆、頑強に歩くぞ。

 また、魔法そのものにはあまり意味が無い。

 手から金粉を出したからといって、善人とは限らぬ。

 瞬間移動ができたからといって、仏陀とは限らぬ。

 明日は、その辺の話をするかな。」



『「おとぎの国」の歩き方』

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