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エピソード29 『リストラ後の7回裏で…』

  • 執筆者の写真: ・
  • 2023年3月25日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年1月15日

エピソード29

リストラの対象となってからの、私の日々は、

まさしく、バラ色でした。

しがらみというしがらみは無く、

毎日を穏やかに、

香りと音楽に包まれながら過ごし、

妻・翔子と毎日手を繋ぎ、

様々なことが、自分で行えるようになりました。


…思えば、

私のリストラが決まったとき、

家族の誰一人として、

「早く、次の仕事を見つけなよ!」とは、言いませんでした。

もしも家族が、生活への強い不安を持っていたり、

家に居る私を厄介払いしていたなら、

私は、ログハウス造りを回避し、次の職探しをしていたかもしれません。


あの時、

娘たちは、私にこう言いました。

「お父さん、会社のためにサービス残業頑張りまくったから、

 その分早く、定年を迎えられたのかもね♪」

あの子たちの中に、

私の尽力する姿は、多少なりとも、焼きついていたようです。

だから、

「この人はもう、働く必要が無い。ご苦労様」

と、本気で思ってくれていたのでしょう。

私にバラ色の日々へのレッドカーペットを敷いてくれたのは、

妻であり、娘たちだったのです!



そして、

忘れてはならない者たちが、まだ居ます。

もちろんです。

私をリストラの対象にしてくれた、会社の仲間たちです。


私は、

彼らへの感謝をどのように還元して良いものか、わかりません。

受け取ったもののほうが、あまりにも、多過ぎる気がします。

私は、筆を取りました。

ログハウスや自給自足の状況は、それなりに報告済みでしたから、

四姉妹全てが海外に旅立って行ったことを、

幾つかの写真を添えて、報告しました。


私は、驚きました!

会社の仲間たちは、

娘4人全てが、どこの国に、どのくらいの期間旅していたか、

全て、知っていたのです!


なんと、私の娘たちは、

私が勤めていた旅行代理店で、航空券を取っていたのです!

娘たちは誰一人、私にそのことを言いませんでした。

また、互いに示し合わせたわけでも、無いと言うのです。


「乙田」という苗字は、極めて珍しいものです。

そして仲間たちは、

私には4人の娘が居る事を、知っています。

ですから、

顧客リストに「乙田」の苗字が密集しているのを見て、

上層部たちは噂をしていたのだそうです。



会社の仲間たちは、

思いがけないことを提案してきました!

私の娘たちの旅行記を、社のwebサイト上に掲載したいと言うのです。

もちろん、写真も添えて。

娘たちは、とても喜びました。

四姉妹各々が、

土曜の夜の世界を題材にしたクイズ番組のミステリーハンター宜しく、

自分の旅のルートとその様子を、面白可笑しく、リポートしました。



自分のリポートが会社のwebサイトに載ったことを、

娘たちがそれぞれの友人知人に報告すると、

瞬く間に、アクセス数が急増しました。

そして、

友人知人の多くが、それに感化され、海外放浪の大冒険に旅立ち、

その冒険者たちの多くが、

その旅行代理店で、航空券の手配をしました。



会社の仲間たちは、

4人のリポートのページには、

特設の問い合わせメール・フォームを設けていました。

そこに届いたメールに関しては、

若いスタッフには任せたりせずに、

「格安航空券というシステムを先駆けた彼ら」が、「昔と同じ方法」で、

一人ひとりに、ルートの提案・相談と、手配を請け負いました。


ハッキリ言って、

当時のクオリティで対応をするならば、

売り上げは上がると言えども、

尋常では無いほどに、忙殺されたはずです!

…つまり、

私は恩返しとお礼の意図で手紙を出したのに、

益々、彼らに負担を掛けてしまったのです…。


しかし、彼らはこう言うのでした。

「20年ぶりに、『本当にやりたい仕事』が出来た。ありがとう♪」



エピローグ

会社を立ち上げたときの私たちにとって、

お金儲けなど、どうでも良いことでした。

サービス残業も午前様も、どうってことありませんでした。

とにかく、

海外放浪という冒険に出て、

見違えるほどに成長し、価値観を覆されるような経験をする者が、

数多く現れることを、望んでいました。


彼らの、そのようなアグレッシブな気概は、

40年経っても尚、色褪せては居なかったようです。


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2012/08/17 完筆


『リストラ後の7回裏で…』

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