エピソード2
80年代の中頃までは、
5人の創設メンバーで、順調に進んでいきました。
しかし、
やはり人間、20代から30代に切り替わると、
価値観や環境に、変化が生じてきます。
最も体力のあったメンバーが、
結婚を機に、寿退社をすることになりました。
彼は、婿養子という結婚形態を選んだので、
奥さんの実家の稼業を、継いだのです。それも旅行業界でした。
彼が抜けるのを見越して、
もちろん、半年前から求人募集を掛け、新人育成を行いました。
今、改めて思い返してみても、最善は尽くしたと言えます。
なにしろ、優秀なメンバーが、揃っておりましたから…。
しかし、皮肉なもので、
その、「優秀なメンバーが揃っている」という事実が、
逆に、致命傷になってしまったのです…。
新たに入れた新人も、
それなりに、優秀な若者でした。
しかし、
やはり、寿退社をしていった男には、適いませんでした。
知識も、体力も、チームワークも、適いません。
知性に関しては、同程度のものを持っていたと言えるでしょうけれども。
止む無く、
もう1人の求人募集を、行いました。
しかし、新人というものは、
ほとんどマンツーマンに近い形で、面倒を見なければなりません。
1人目の若者の教育の際は、
なんとか、
残りの4人が1.25倍の仕事をこなすことで、しのぐことが出来たのですが、
更にもう1人、更にもう半年、研修期間が延びると、
肉体的、精神的、業務の進行的にも、綻(ほころ)びが生じ始めました。
…それからはもう、
「応急処置の連続」といった感じで、15年近くが過ぎました。
私たちが得た教訓は、こういうことです。
「1人の人材の穴は、1人の新人では埋まらない。」
『リストラ後の7回裏で…』
Comments