エピソード3
父は、落ちこぼれのアントニーを、決して批判しなかった。
それどころか、私と同じように、
アントニーの持つ人を元気にする不思議な習性に、敬意を表していた。
「私は医者を辞めて、アントニーに笑顔のコツを学ぶべきかもな」
と、冗談まじりに、それにしてはひんぱんに、口にしていた。
医療の限界というものを、父は感じていたらしい。
父は、40歳を過ぎて体力にかげりが見え始めると、
母に対して、「仕事量を減らしてほしい」と懇願した。
父は、帰宅後や休日のプライベートタイムに、
母とゆっくりスキンシップしながら過ごすことを、望んだのだ。
それに付き合ってもらうために、母に時間的ゆとりを作らせたらしかった。
父も母も元気を取り戻し、また、いくぶん若返った。
父はそれから、
「未病」という、病気を未然に防ぐメディカルケアに興味を持ち、
空いた時間で研究をしていった。
執刀や投薬が過剰になっていた医療業界に疑念を感じていて、
自分の未病医療を、関係者や患者に提唱するようになっていった。
父の研究は、大衆貢献的なものであったはずなのに、
父はあまり、賞賛されなかった。
医療関係者たちは、未病医療が普及すると収入を損なってしまうため、
父の研究を煙たがり、そして否定し、罵倒するのだった。
父はそれでもめげずに、つつましく研究や提唱を続けていったけれど、
やがてそれにも、限界が訪れた。
『人魚たちの償い』