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エピソード4 『首長の村の掟 -真実の物語-』

僕は、一つの大きな仏教寺院のお堂で、

休息がてらに、座禅を組んだ。

規模の大きさの割りに、商売っ気の薄い、静かな寺院だった。


当時の僕には、座禅瞑想の習慣は無かったのだけれど、

深いことは考えずに、目を閉じて穏やかにしていた。

他の参拝者に迷惑を掛けないように休息をするには、

いずれにせよ、静かに、じっとしている必要がある(笑)


周囲の人々の迷惑を、考慮出来ないような人は、

「旅人」とは、言わない。それは、「旅行者」だ。

「旅行者」は、「私は大金払ってるんだから、偉いのよ」と思っている。

すると、「旅の恥はかき捨て」的な無神経な人が、多い。

「旅人」は、あらゆる地域の人々を、友人同然のように、考えている。

彼らは、「社会常識」にはあまり囚われないが、

その割には、「モラル」はあり、他人には優しい。



…ふと目を開くと、

目の前3メートルくらいのところに、

日本人と思われる夫婦の姿を、目撃した!

この旅初めての、日本人との出会いだった。


彼らは、

座禅を組んだりはしなかったが、折り目正しく座って、礼をした。

もう、立ち上がった。

僕は、他の参拝者の迷惑にならないように、

お堂の外に出てから、彼らに声を掛けた。



「おう、やっぱり日本人やったかぁ!」

50代半ばと思われる、小柄なオッチャンだった。

メガネが良く似合っていて、気さくそうな顔立ちをしている。

このオッチャンは、

僕が初めて、「尊敬」の念を覚えた旅人だった!

名前を、ヤスさんと言う。奥さんは、ミーさん。

ヤスさんは、ポロシャツに短パン、頭にタオル、腰にウエストバッグ…

という、およそ、シニアの旅行者らしくない、安っぽい格好で、

キビキビと歩く人だった。

若い頃からバックパッカーであったことが、予想出来た。

奥さんとの会話は、常に、漫才師みたいな調子になった。

見ているだけで、面白い夫婦だった。

コテコテの大阪弁が、その滑稽さに、更に輪を掛けていた。


第一印象は、

完全に、土方か何か、ガテン系の雰囲気だ。

しかし!

この人、驚くなかれ、医者なのだ!

何千万も貯金を持つであろう医者が、

安っぽい格好で、ひょうひょうと、苛烈な東南アジアをさすらっている!

付き合わされる奥さんは、堪ったモンじゃないだろうが、

「もう、慣れちゃったわよぉ!」

と、可愛く口を尖らせていた(笑)



「なんで、旅してるんスか?」

僕は尋ねた。僕は、旅の目的やテーマを尋ねるのが、好きなのだ。

ヤスさんからは、面白い返事が返ってきた!

僕が尋ねた旅人の中で、未だに、一番面白い回答だ!


「旅の理由か?

 んー。『死に場所探し』やんなぁ。」

「…へ!?」

僕は、目を丸くして、訊き返してしまった。

「死に場所、選んどるんよ(笑)

 医者は、55(歳)でもう、辞めようと思っとるから、

 リタイヤ後の『終の棲家(ついのすみか)』をな、探しとるんやわ♪」


海外移住をするシニア層は、

普通、テレビや本などで、オススメの地の情報を得たら、

一回そこに下見に行く程度で、もう、決めてしまうだろう。

でも、この人たちは、

世界の隅々まで自分の足で歩いて、

本当に、「自分にとって住み良い街」を、見定めているのだ!

…僕は、

ヤスさんは結局、旅をしながら死んでいく気がする(笑)


『首長の村の掟 -真実の物語-』

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