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エピソード5 『人魚たちの償い』

エピソード5

学年度の切り替わる、夏のことだった。

私たちは船に乗って、一路カリブの地を目指した。

残念なことに、あまり上等な船ではなかった。

「島流しだからね」と父は笑っていたが、

実際、あまり優遇されていないことがよくわかった。

客船ではなく、カリブの開拓地へ送る末端労働者たちの船に、乗せられたのだった。


荷物の持ち込みにも過剰に制限をかけており、

大きな絵画について、ひと悶着あった。

絵の大きさもさることながら、人魚という題材にも、非難が及んだ。

「人魚は船を沈めるんだぜ?

 そんな不吉な絵、載せられるかってんだ!」

父自身もその言葉を聞いて、動揺してしまったらしい。

たしかに、人魚というのは昔から、

船を沈める不吉な生き物として、語り継がれてきている。

父は、迷信に振り回されるタイプの人間ではないけれど、

船の頼りなさも相まって、胸に不吉な予感をよぎらせた。

父は、高額なワイロを払うことで、どうにか人魚の同乗にこぎつけた。


船の粗末な客室で、私は父に尋ねた。

「お父さん、どうしてそんなに人魚の絵にこだわるの?」

「理由なんか無いんだよ。なんとなくね。」

「理由も無しに、ワイロまで払って?

 お父さん、理由も無しに患者さんに薬を処方する?」

「医療には、理由が必要だよ。科学的な理由がね。

 でも、人生はそうでもないさ。

 ときどきは、理由もないことにこだわらなくちゃならんのさ。」

「そんな子供みたいなこと言うの?」

「ユベールじいさんが、私に教えてくれたのさ。」

父は、絵を包んでいた布をはぎとり、せまい客室に立てかけた。

「ときどき私、この子に嫉妬するわ」母は、苦笑いしながら言った。

「大丈夫だよ。おまえを愛する気持ちとはまた別のものだから。」

「そうなんでしょうけれどね。」母もあまり、悲観はしていないようだ。

「母さん、太らないように気をつけなよ!

 父さんは、くびれのある女が好きらしいぜ!」

「アントニーってば!」

実際、父と母はいつまでも仲が良い。



船は、給油のために何度か寄港地に寄りながら、

ボロ船なりに順調に、航海を進めていった。

ときどきは私たちも、港町に降り立ち、

異国の風景を眺めながら、観光気分を味わった。

「家族旅行なんて、したことがなかったからなぁ。

 案外この移住は、私たちへのゴホウビなのかもしれんよ。」

父は笑ってそう言った。本当に、移住を悲観していないらしかった。


『人魚たちの償い』

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