エピソード6
ホール自体は、とても殺風景でがらんとしていました。
いや、向こう1/3ほどのスペースには、ダイニングテーブルが並んでる。
きっと、社員食堂のような場所なんだと思う。
そして、
たくさんの部屋に囲まれていて、それらへの通用口となっているみたい。
チベット僧のおじさんは、陽菜たちをまず、一番端の部屋に案内しました。
そこは、アロマテラピーを研究する部屋であるようでした。
理科室さながら、茶色い遮光瓶がところせましと並んでいました。
白衣を着たチベット人が、なにやら理科の実験のようなことをしています。
陽菜たちに軽く会釈をすると、また実験に没頭しはじめました。
「アロマテラピーはご存知でしょう?」
おじさんは、近くにあった茶瓶を手に取りながら、そう尋ねます。
「えぇ。もちろん。」
陽菜にとって、アロマテラピーはとても身近なのです。ほぼ毎日使っています。
「お嬢さん、ラベンダーの精油を焚いて、すぐに眠れたこと、あります?」
ニヤニヤと笑いながら、おじさんは尋ねます。
「え?えーっと。
…ない…かも?」
「ははは。そうなんですよ。
ラベンダーは催眠作用があると言われていますが、
実際のところ、確実に人を眠らせるほどの効果は、実証されていません。
たしかに、脳波や脈拍に変化は現れるんですがね、人を眠らせるほどではないんですよ。
ホットミルクのほうが効くかもしれないな。ははは。」
「じゃぁ、使っても、意味がない…?」
「うーん。無いとも言い切れませんが…
難しいな。どう表現するのが良いんだろう?
柔らかい香りなので、リラックス効果は期待できますよ。
それが結果的に、『快眠に繋がる』と言えなくも、ないですね。
しかし、確実に眠りたいようなときに助けになるかと問えば…
『No』ということになるでしょうなぁ。」
「そうかぁ。」たしかに、そんな気はしてたんだ。
「同じように検証してみると、
無数に販売されている精油のうちのほとんどは、
気休め程度の効果しか、発揮していないんですなぁ。」
「じゃぁ、アロマテラピーってマユツバなんですか!?」
「いやいや、そんなこともないですよ。
目に見えて効果のある精油も、少しは、あります。
たとえば、
ペパーミントを、蚊に刺されたところに直に付けてみてください。
10分も経って皮膚に浸透すれば、ミゴトにかゆみが引きますよ!
精油一滴でかゆみが引くんですから、
市販のかゆみ止め薬よりずっと安上がりでしょうし、副作用もありませんね。
ペパーミントはさらに、
鼻づまりにも強力な効果を見せますね。
瓶のフタを開けて、クンクン匂いを嗅ぐだけで良いですよ。
それだけで割りにすぐ、鼻が通ってくるでしょう。
つまり、液体を消耗することなく、症状を改善できます!」
「うんうん!
陽菜もペパーミントはお世話になりまくりです!旅にも持ってきてるくらい。」
「他には、
ティートリー辺りの殺菌消毒効果も、実用レベルと言えるでしょう。
殺菌消毒には、アルコールスプレーを使う人が多いようですが、
ティートリーの水溶液のほうが、ずっと安上がりですね。」
「うんうん。ティートリーもお洗濯とかに活用してます。
お洗濯のときは、ティートリーで殺菌して、ラベンダーで香り付け。」
「おや!お嬢さん、賢いですねぇ。」
「えへへ。天使が教えてくれたんですぅ。」
「天使が?」
「いや!なんでもないです!」
おじさんは、続けます。
「アロマ業界は、完全にもう、本質を見失っていますね。もったいないなぁ。」
「本質を?どういうことですか?」
「アロマテラピーって、芳香療法ですよ。
『香りを健康に活かそう』というのが、その本質です。
本来、
香りが出てさえいれば、植物のどの部位や状態でも、構わないんですよ。
けれどもアロマ業界は、
もっぱら、『精油』を売りさばこうとするでしょう?
それは、精油という加工状態は家庭で気軽に作れませんから、
高い値段が取れるんですね。つまり、消費者の足元を見てるんです。」
「えーっと…?」
「ははは。具体的に言いましょうか。
お風呂の浴槽に、オレンジの精油をたらしたり、するでしょう?」
「はい、します。リラックスしたいとき。」
「それ、精油である必要、あります?
キッチンに捨てられてるオレンジの皮じゃ、ダメですか?」
「いいんですか!?」
「もちろん!
むしろ、生の果実皮のほうが良いと言えますよ。ははは。
みずみずしい香りを放ちますからねぇ。
それに何より、お金が一銭も掛からないでしょう?残飯ですから。
日本人は特に、そういう活用法を知っているはずなんだけどなぁ…」
「あ!ゆず湯!?」
「そうですそうです。
他にも、しょうぶを湯に浮かべる習慣もあるんじゃないですか?
日本はもともと、賢い方法で芳香療法を行っていたのに、
西洋の商業的なアロマテラピーに、目隠しをされてしまったんですよ。」
それだけ話し終えると、陽菜たちはその部屋を出ました。
『碧い鳥 -最高の医療は何だ?-』
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