エピソード7
…1つ前の章の中で、
「私たちは、苦しいのです」
といった言語表現を使ったのですが、
厳密に言いますと、
私たち植物には、苦痛の類はありません。
「痛い!」とも「悲しい!」とも「寂しい!」とも、感じないのです。
私たちには、
ただただ、「喜び」だけが存在しています。
私たちが喜びを感じるのは、
話し掛けてもらったりするときももちろんなのですが、
心の通い合いが無くとも、
「人間の役に立てたとき」なのです。
人間が、私たちの美しさに心を震わせ、
家に摘み帰ってくれたとき、私たちは、喜びを感じます。
人間が、私たちを食し、血肉にしてくれたとき、
私たちは、喜びを感じます。
人間が、私たちを販売し、大金を得たとき、
…それは、私たちの喜びには、なりません…。
しかし、
小額のお金を介入して、私たち植物を売買し、
その労働の中で、何かの気付きを得たり、スキルを得たりするとき、
私たちはやはり、喜びを感じます。
熱帯雨林の真ん中に咲く熱帯植物は、
一生の中で、人間と関わり合うことがありません。
それでも、
空気を浄化し、酸素を生み出す行程によって、人間の役に立つとき、
彼らもまた、喜びを感じます。
…つまり、
あらゆる植物が、あらゆる瞬間に、喜びを感じているのです!
私たち植物は、人間とは異なり、
長生きしたいとは、感じていません。
摘まれることにも、折られることにも、枯れることにも、
苦痛は感じないからです。
ですから、
私たち植物を折ったり摘んだりすることに、
無闇にためらいを感じる必要は、ありません。
それをあなたが有効活用してくれるならば。
私たちは、踏みつけられて喜ぶことすら、あります。
たとえば、
いつも家の中でばかり遊んでいた女の子が、空き地に出てきて、
元気に鬼ごっこをするかたわら、
空き地のすみのスイートピーを踏みつけたとしても、
私たちは、苦痛ではなく喜びを、感じます。
人間が「自然の中で戯れることの喜び」に気付いてくれることが、
私たち植物の、大いなる使命の中枢だからです!
どんどん私たちを摘んで、花冠を作って下さい!
どんどん私たちを踏んで、鬼ごっこをして下さい!
『花ちゃんのつぶやき』