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エピソード9 『自由の空へ』

エピソード9

私は、目からウロコが落ちる思いでした。

心理学の本を何十冊と読み、心理学の先生を何十人も見たけど、

ゆうこさんのようなアイロニーを話す人は、誰もいなかった…

「そりゃそうよ。

 専門家たちはみんな、自分の食いぶちを守りたいんだもの。

 たとえそれがハリボテだと気付いていたって、

 生徒や患者の前では、『黄金だ!』って主張し続けるのよ。

 だから、心理学の核心を知りたいなら、

 私たちみたいなリタイヤ組に聞いたほうが、有意義ってワケ。

 心理学に限らないけどね。」

私は、グラスに残っていたカシスオレンジを、ぐいっと飲み干した。

そして、体に残っていた心理学への陶酔を、ごそっと吐き出した。


「…そういえば、

 フロイトがどうとか言ってましたよね?」

私は、少々話題を変えた。

「そうね。今のあなたには、フロイトをお勧めするわ。」

ゆうこさんは、ニヤニヤしながら言う。

「えっと、ごめんなさい。

 フロイトについて、あんまり詳しくないんですけど…。」

「ウフフ。私も、細かいことはあらかた忘れちゃったわよ。

 要はね、フロイトは、

 『セックスが鍵を握っている!』と言ったのよ。

 『性的抑圧を解放すれば、

 戦争も貧困も、あらゆる問題は解決する』ってね。」

「セ、セック…!?」

私は叫びそうになって、あわてて口を塞いだ。

「ほら!

 みんなそんなふうに、セックスってものを恥ずかしがるでしょ?

 それが、全ての問題だってことなの。」

「でも、でも…

 大衆はみんな、下品なことに夢中になるから、

 心身を蝕んじゃってるんじゃないんですか!?」

「そうねぇ。セックスを全肯定するわけにも、いかないわよねぇ。

 特に男性たちは、セックスを下品に扱いすぎるわ。

 だから女性たちは、『セックス=下品』と思い込んじゃって、

 セックスに傷つき、フタをするのよね。

 でも、問題なのは『下品なセックス』であって、

 『セックスそのもの』は、悪者じゃないのよ。」

「そうなんですか?」

「まぁ、厳密に言えば、セックスじゃなくても構わないのよ。

 何かしらの快楽ってものが、人間には、適度に必要なの。

 快楽的なものって背徳的なものが多いから、

 真面目で誠実な人ほど、快楽が不足しがちなのよね。

 それでフラストレーション溜め込みすぎちゃう。

 そして、最もストレス解消に効果的な快楽が、セックスなのよ。

 ストレス解消だけじゃなくて、女性ホルモンの分泌とか、色々メリットあってね。」

「心理カウンセラーとか心理学者は、

 誠実そうな人が多いです。真面目そうな人が。

 人の悩みを聞くのは、そういう聖人君主がふさわしいと思ってました。

 お笑い芸人や風俗嬢に、人生相談が務まるとは思えません。」

「そうね。大衆はたいてい、そういうふうに考えるんじゃない?

 医者にセックスの話なんてしてほしくないみたい。

 でも、そういう生真面目な医者にすがり続けてきて、

 人間は健康になれたのかしら?幸せになれたのかしら?

 むしろ、

 お笑いライブや風俗に繰り出す子たちのほうが、

 健康そうな顔してない?幸せそうな顔してない?

 あなたは、どっち?

 生真面目な淑女?チャラ子ちゃん?」

「………………。」生真面目なタイプの人間だろう。


「言っちゃ悪いけど、

 翔子ちゃんが健康そうには見えないし、幸せそうには見えないわぁ。」

「………………。」そのとおりかもしれない。

「でもね?

 翔子ちゃんみたいに、精神的な高みを目指して生きることは、

 決して、間違ってないのよ。すばらしいことだわ。」

「でも、健康にはなれない。幸せにはなれない。」

私は落ち込み、下を向く。

「いや、そうじゃないのよ?

 誠実さや貞淑みたいな精神性を、まずは培うべきなのよ。

 そうして、物事の分別や自制心が充分に身についたなら、

 次は、セックスみたいな快楽欲求を、素直に発散してあげるのよ。

 セックス三昧の人生が正しいってわけじゃないわ。

 性欲を素直に肯定することが、大切なのよ。」

ゆうこさんは私に、2杯目のカシスオレンジを差し出した。


「なんとなく、わかったと思います。

 そっか。

 私、次の日曜日には、

 美術館じゃなくて、渋谷にでも繰り出したほうが良いんですね。」

「ウフフ。

 あなたもしかして、画家ってものが貞淑だと思ってる?」

「え!違うんですか?

 芸術家たちは、風俗とか行かないイメージだけど…

 日曜朝のNHKで、美術館の番組とかやってるし。」

「よく思い出してごらんなさいよ?

 ルネサンス絵画の大半には、素っ裸の女性が描かれてたりしない?」

「えぇ。確かに…」

「あれ、どういうことだと思う?

 画家の目の前に、素っ裸の女性が横たわってたわけよ。

 妖艶なカッコした、今しがた『コト』を終えたばっかりのような、ね。

 つまり、

 画家なんてのはたいてい、美女とセックス三昧だったのよ。

 彼らはお役所務めなんてしないんだから、一日中ヒマ人よ。

 そうしてもてあました時間を、セックスフレンドと戯れていたのよ。

 芸術家なんて、淫らな人種なのよ。ウフフフ。

 現代人は、ルネサンス画家を美化しすぎてるのね。

 それで、NHKの番組とかでお上品に賞賛しちゃってるの。ウフフ。

 画家って、画力はもちろん神がかってるけど、

 人間的にはだらしない人が多いのよ。

 偉人として語りついでいいのかしら?怪しいとこだわ。ウフフ。」


『自由の空へ』

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