44 真の、満天の星空
懐中電灯をぶらぶらと、振りかざしながら歩いていると、
昼間に登った見晴らし台のところに、出てきた。
そうだ。
「松茸荘」とこの公園は、とても近い距離関係にあるのだ。
私は、
懐中電灯をキュロットのポケットに仕舞い込み、
再び、足場の悪いハシゴを、てっぺんに向かって登ってみた。
昼間に登ったときよりも、
ずいぶんと、他愛ない作業に感じられた。
ヒトが持つ「慣れ」という作用は、素晴らしいモンだと思う。
見晴らし台に登り詰めると、
幾分、空が近く感じられた。
…空への距離なんぞ、
地上とほとんど大差ナイのだけれど、
視界に入る風景が空ばかりなので、
自然と、空への意識が強まるのだろうと思う。
「満天の星」とは、このことだった…!!
天の川のせせらぎまで、クッキリ、見えた!
…いや、
クッキリ「見え過ぎ」た!
「満天の星空」というものは、フツウ、
ロマンチックで美しいモノの象徴として、描かれてる。
けれども、
「真の、満天の星空」は、
実は、あまりロマンチックではなく、美しくも、ナイのだ!
星が、あまりにも多く見え過ぎてしまうため、
逆に、うっとうしく感じてしまうのだった(笑)
「汚いなぁ」と形容しても、おかしくナイほどなのだ…。
掃除の得意じゃナイ私でも、
「ちょっと、掃いておいてあげようか?」
と言い出したくなってしまうほど、乱雑し過ぎていた。
中学の頃に、
磐梯山(福島県)で夜空を見上げたことがあったけれど、
あれくらいが、ロマンチシズムの対象として語るのに、丁度良かった。
少しくらいは町明かりがあるくらいで、丁度良いようだ。
かといって、
この圧倒的な静けさの中で、「散らかりすぎた星空」を見上げる作業は、
人生に一度くらいは、やっておいてソンはナイと思う。
「ロマンチックではナイ」にしても、
「貴重な体験では、ある」のだ(笑)
私は、
しばらく…というか、夜明けまでずーっと…、
満天の星空を、見上げていた。
…ずーっと星を見ていたワケでは、ナイ。
違うモノに目を凝らしたり、
何にも焦点を合わせず、考え事をしたり、した。
夜の闇や静寂は、
どうやら、フシギな力を持っている。
今までの私が考えつくハズも無かったことまで、
思い浮かんできたり、するのだ。
「今なら、詩がいっぱい書けそう♪」
詩など書いたことのない私が、そんなことを思っていた。
…実際、
たくさんの詩的なフレーズや格言が浮かんできたけれど、
メモ紙も何も持っていなかったので、
もう、すっかり忘れてしまった。
とにかく、
芸術家と呼ばれる気質の人たちが、もっぱら夜型である理由が、
なんとなく、理解出来た。
真夜中の静寂の中には、
「無意識的な世界へのゲート」
みたいのが、コッソリ、開いているのだ。
『星砂の招待状 -True Love-』