50 キリング・フィールド
僕は、コレと言って必要な準備も無かったから、
そのまま、ラウンジでのんびり待っていた。
サッカーテニスをしていたメンズたちが、時々、親しげに声を掛けてきた。
…一応、彼らもみんな、宿のスタッフのようだった。
恐らく、1つのファミリーが中心になって経営していて、
その友人知人が手伝っているような、構図なのだろうさ。
彼らは、…全部で6人くらい居たけれど…、
みーーんな、オンナジような性格をしていた(笑)
優しく、気さくで、フレンドリーで、マイペースだった♪
みんな、積極的に名前を名乗ってくれたけれど、
僕は、それがさっぱり覚えられなくて、滞在期間中、よく、コケにされた(笑)
2時半頃に、
さっきの彼が、原付バイクと共に、中庭に現れた。
彼は、サッカー日本代表の、真っ青なゲームシャツを着ていた!
彼は、改めて、
握手を求め、自己紹介をしてきた。
「数日間、ヨロシク!
オレのことは、『ナカタ』って呼んでくれ♪」
「『ナカタ』!?
それって、日本の有名な名前の1つだよ!
キミ、ハーフか何かなの!?」
「あはははは!オレはナチュラルなカンボジアンだよ(笑)
『ナカタ』っていうのは、ニックネームなんだ。
サッカー日本代表のヒデトシ・ナカタが大好きだから、
オレも、『ナカタ』って名乗ってるんだ♪」
「へぇー!!僕が、もっとサッカー好きだったら、良かったのになぁ。
僕はアイニク、野球のほうが、好きなんだぁ。」
「じゃぁ、早速、出発しようか!」
僕は、彼のバイクの背中に回って、気が付いた!
「ナカタだー!!」
彼のゲームシャツには、
「10」の背番号と、「NAKATA」の字がプリントされていた(笑)
バイクは、風を切って走り出した。
大通りを突っ切ると、すぐに、静かな田舎道に入った。
15分ほど、くねくねと田舎道を走ると、
ナカタは、仏教寺院のような場所で、バイクを停めた。
施設に入りながら、ナカタに尋ねた。
「ココは?」
「ココは、『キリング・フィールド』だよ。
ポル・ポト戦争のときの犠牲者が、ココで弔われているんだ。
キリング・フィールドは、カンボジア各地に、何箇所もあるよ。」
「へー!!」
最初のレコメンズ(オススメ地)が戦争関連であるとは、恐れ入った!!
…僕が、60歳のオッサンなら、ハナシは解るけどさ?
フツーに考えて、
22歳の男の子にレコメンズする場所では、ナイよね(笑)
キリング・フィールドは、
死者を弔うには相応しい、木立に囲まれた、静かな場所だった。
仏教施設によく似ていたけれど、ヒンドゥー教の施設らしかった。
ヒンドゥーの女神をモチーフにした水飲み場が、とても印象的だった。
敷地内の、プレハブ小屋のようなモノに入った。
仏教で言うところの、お堂のような趣だよ。
中に入ってみると、
小学校の体育館をコンパクトにしたような造りで、
壁には、ヒンドゥーの宗教画が、いくつも、飾られていた。
僕は、ヒンドゥー教にはサッパリ詳しくなかったけど、
どこかで見たことのある絵が、幾つか、在った。
中では、
有志のガイドのヒトが、英語で、絵の説明をしてくれた。
僕は、懸命に理解しようと努めたけれど、
あんまり、解らなかった…(笑)
建物を出るとき、ナカタが、
「チップを払ってあげるとイイよ」と言ったので、
その有志ガイドに、僅かな小銭を渡した。
…僕は、チップという概念が、あんまり好きではなかったけど、
反発はしないようにした。
もう1つ、同じようなプレハブ小屋が在った。
そこは、学校であるとのことだった!
「死者を弔う施設の中に、学校…!?」
と、一瞬ビックリしたけれど、
学校の少ない貧困国で、
霊性を重んじる人たちがボランティア的に学校を開くのは、納得がいった。
「学校」から出ると、
小学校低学年くらいの女の子たちが、何やら、僕のほうに駆け寄ってきた!
彼女たちは、「モノ売り」だった。
みんな、手には、ポストカード・セットを、持っていた。
「オニーサン イチドル!」
「オニーサン イチドル!」
と、まるで九官鳥みたいに、それしか言わなかった(笑)
彼女たちは、
みんな、とても可愛らしい顔をしていた。
日本人の旅人はたいてい、海外の子どもの笑顔が好きなので、
コレに襲撃されたら、思わず買ってしまうヒトも、多いことだろう。
僕は、買う気は無かった(笑)
けれど、可愛い少女たちとコミュニケーションしたかったので、
ポストカードのパッケージの中身を見せてもらったりして、
しばらく、談笑を交わした。
ナカタが、
「そろそろ、行こうか?」と促したので、
僕は、少女たちに手を振って、キリング・フィールドを後にした。
『永遠の楽園』