エピソード15 『イエスの子らよ』
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- 2023年3月3日
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「わかりません。」シスター・サラは言った。
「わからんとな!?」おばあ様は、ひっくり返った声で聞き返した。
「私は、イエス・キリストから1500年も隔たれた時代を、生きています。
ですから、確証の持てることは何も、ありません。」
「たしかに、それはそうじゃが…」
「しかし、私が母から聞かされている血族が真実なのであれば…
おばあ様の問いへの答えは、『YES』です。」
「なんと…!!」
イエス様の子孫ですって!?
その場の誰もが、言葉を失ったわ。
シスター・サラは、りりしくおばあ様の両目を見つめた。
するとおばあ様は、突風にけおされるように、倒れこんだ。
私とエルサが、あわててそれを支えた。
「すさまじいオーラじゃ…!」
「………………。」シスター・サラは、何も言わない。
「おぬし、なぜ今まで、素性を隠しておった?」
「むしろ、死ぬまで誰にも話すことはないと思っていました。
口外することは、母から固く禁じられているのです。
ただ、口外して良い条件が、1つだけありました。
誰かが私の素性を、見抜き、指摘してきたときです。」
「今がまさに、その歴史の転換期ということか…!」
「それほど大げさなものとは思いませんが、
生まれて初めて、条件が果たされました。」
「少し、聞かせてくれんか?おぬしの話を。」
「………。何から話せば良いでしょうかね。
………。
私の祖先、マグダラの話からしましょう。」
「マグダラのマリアか…?」
「はい。一般的にそう呼ばれる女性です。
マグダラは、娼婦であったと言い伝えられていますが、それは誤りです。
彼女は、女王イシスの神殿で厳しい修行を積んだ、優秀な巫女でした。
彼女は、やがてイエス・キリストの助け人となることが、10年前から決まっていました。
イエス・キリストの『復活』の使命のためには、
達観した女性による、エネルギー的な補助が必要であったのです。
その役を担うためには、恋仲になる必要性もありました。
マグダラは才色兼備であったため、
イエス・キリストに見初められることは、難しくありませんでしたが、
使徒や弟子たちから、激しいやっかみを買いました。
娼婦という汚名も、そのときに着せられました。
そうした迫害も予想されていましたが、
マグダラは、その使命に飛び込んだのです。」
「そのようなことがあったのか…!」
サラは続けたわ。
「イエス・キリストは、
磔刑(たっけい)に処されるその直前に、一粒種を遺していきました。
マグダラのお腹の中に、です。
過ちではありません。天使様からの示唆です。
磔刑と復活のあと、
マグダラは、ひっそりとエルサレムから姿をくらましました。
それからは人知れず、娘と二人で隠とん生活を送りました。
その、マグダラの娘の名前が、サラといいました。」
「その伝承は、真実であったのか…!」
「真実であったと断言はできません。
私はそう、聞かされてまいりました。
何とぞ、口外をなさらないでいただけますか?
私、追われる身となってしまう懸念があります。」
「じゃろうな。イエスの子孫が残っているとなると、
さまざまな陰謀が働きかねん。
幼な子たちよ?口外は禁止じゃ。約束できるな?」
「はい。もちろんです。」二人そろって、お利口に返事したわ。
…正直私は、あんまりよく話がわかっていなかったのだけれど。
荷が下りたように肩をなでおろすと、サラは続けたわ。
「もう少し、続けましょう。
娘サラは、母マグダラから基礎教育を受け、霊的な教育も受け、
己れの奇異な出生を理解しました。
サラは思春期になると、たった一人の肉親である母マグダラから離れ、
やはり俗世間から離れて生きました。
母マグダラから渡されたものは、1つの言葉、ただそれだけでした。」
「言葉…?」
「『師イエスと同じように、
天使様の御言葉(みことば)のままに生きなさい』と。」
「私欲を失くせということか?」
「サラもまた、私生児を生みました。
交わった相手は、田舎の庭園の、雇われ庭師であったそうです。
結婚はせず、父親の存在を誰にも隠したままで、産んだのです。
もちろん、天使様の御言葉が、そのように指示したからです。
私生児を産み育てることは、罵声や迫害をまぬがれませんから、
サラはとても葛藤しました。
しかしサラは、天使様の御言葉に従いました。
娘の名をマリアと名づけ、
同じように女手ひとつで育て、俗世間から離れて生きました。
ただ1つ違ったのは、
娘マリアが7才のときに、修道院に預けたことです。
『師イエスと同じように、
天使様の御言葉(みことば)のままに生きなさい』
と書いた紙切れだけを、娘のポケットにつめ込んで。
娘マリアは20才になると、修道院を離れました。
あとはその繰り返しです。
娘たちの名は、サラとマリアが交互に付けられ、
異なる修道院を転々としながら、女系で血と精神をつないできました。
磔刑(たっけい)のときから1500年が経ち、
今は私がこうして、サラとして生きています。」
『イエスの子らよ』