エピソード15 『トランク1つで生きていく』
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- 2023年3月9日
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エピソード15
京都で暮らしはじめて、3ヶ月も経ったある日のこと。
その日は私もコウセイくんも、夜のバイトが休みだった。
コウセイくんは珍しく、私を夜の京都観光に誘った。
「舞妓さんの行きかう祇園の路地は、夜のほうが風情があるんだよ」と。
私は以前、昼間に祇園の路地を歩いたことがあったけれど、
たしかに宵闇の石堀小路は、昼間よりもムードがあって美しかった。
白川沿いの町並みは、いつかの倉敷の美観地区にも似ていて、
一緒に歩いたメグちゃんのことを、久しぶりに思い出した。
元気にしてるかな?メグちゃん。
最近はSNSもあまり開かないので、彼女の近況もよくわからない。
コウセイくんは、通りがかりのベンチで立ち止まり、そこに腰を下ろした。
私もそれにならう。
何もしゃべらず、薄明かりの中を行きかう艶やかな舞妓さんたちを眺めている。
不意にコウセイくんは、
「あ、ヘンなもの通るから、ちょっと目つむってたほうがいいよ」と私に言った。
私は酔っ払いか舞妓を連れ出す男でも通るのかなと思って、
コウセイくんの言うとおりに、目を閉じた。
ふいに、私の唇に何かが触れた。
「ごめん。」とコウセイくんは短く言って、私は目を開いた。
口付けを、されたらしかった。
「ごめん。」コウセイくんは、また言った。
私は、何と言っていいのかわからなかった。
そんなに不快ではないけど、かといって、嬉しくもない。
急にキスをされるのは嬉しくはないけれど、かといって、そう憎くもない。
「ごめん。オレ、女の子口説くのどうやればいいか、わかんないんだ。
強引だったのはわかってるし、喜ばれてないのも、わかってる。
オレ、ハナちゃんとキスしたくてさ。
ごめん。勝手なことして。」
ごめんばかり言っている。
「オレ、ハナちゃんのこと好きなんだ。君の感性が好き。」
私は、コウセイくんを恋愛対象としては見ていなかった。
彼は醜い顔でも悪い人でもないけれど、
私はそもそも、恋愛うんぬんということをあんまり考えないたちなのだ。
どう答えていいか迷って、でも口を開いた。
「ごめんなさい。私…
『のり付け』するのはまずいと思ってるんです。
町にも人にも、『のり付け』したくなくて。」
コウセイくんは、ひとつ大きく息をした。
「『のり付けしない』っていうのは、
『恋愛しない』っていうのとは違うんじゃない?」
「え?」
「『のり付けしたくない』って言い分はわかるんだ。オレも基本、そう生きてるし。
でも、愛子さんが言ってた『のり付け』って、
『心を凍らせる』っていうのとは、また違うんじゃないかと思うんだけど、オレ。
無感情で生きたらつまらないよ。
京都の町を愛してもいいし、誰かを愛してもいいんじゃないかって思う。
『のり付けしない』ためには、
『誰を愛すか』が問題だし、『愛し方』が問題なんじゃないかって。『のり付けしない』ためには。」
私は何も言わない。が、彼の言葉を待っている。
「オレはハナちゃんに、『好きだ』と伝える。
けど、『一生オレが養ってやる』とか言わない。『キミしか見えない』とも言わない。
そういうふうに言っちゃうと、キミはオレと、『のり付け』されちゃうからね。
…キミがオレに対して、OKだったらば、の話だけど。
未来を相手に約束せずに、恋愛しちゃダメなのかな?
お互いがそれでいいって思ってるんなら、それで良くないのかな?
キミが京都を出ていくとき、たぶんオレは、キミを追ってはいけない。
けど、それでも恋愛しちゃだめなのかな?」
「チェックアウトの日になれば、あきらめが付く…。」
私は愛子さんとの会話を思い出して、ぼそっとつぶやいた。
「え?」コウセイくんは聞き返す。
「いや、何でもないんです。」
コウセイくんは悪い人じゃない。愛子さんともよく似ている。
彼と深く交わったかどうかは、誰にも話さないようにしようと思っている。
『トランク1つで生きていく』



