けっこうワイルドなスピードで飛ばしていたのに、
愛子さんはなぜか、急に減速をはじめる。
「あらー。ダメね。迂回だわ。」
身を乗り出すように、前方を眺めている。
「何ですか?」私には見えない。
「亀裂よ。けっこう派手ね。コリャ通れないわ。」
私も身を乗り出す。本当だ。尻尾が見えないほどの大きな亀裂が、
アスファルトの道を大きく引き裂いている。
顔面蒼白の家族から離れ、ラジオも消してしまい、
ポジティブというか何というか、変わり者の愛子さんと夜道を走っていると、
あまり大惨事の直後という実感が無かったのだけれど、
派手な亀裂を目にして、あの地震が夢じゃなかったことを思い出した。
こんな派手な亀裂を生で見たのは初めてだ。まるで少年マンガの格闘シーンみたい。
けれど相変わらず、愛子さんはケロっとしている。
再びラジオを点けはじめ、ラジオは絶え間なく悲壮に報じているけれど、
愛子さんは、まるで他人事みたいだ。
「大丈夫よ。迂回する道はまだあるわ。高速は走れないでしょうけどね。」
再び走り始めたのも束の間、
急に車が、うねうねと大きく揺れた!
「うわぁ!」私は揺れにあおられ、シートベルトに締め付けられる。
「パンク!?」パンクのそれに近いと感じた。
「パンクじゃないわよ?
また揺れたのよ、きっと。ちょっと静かにしてて?」
愛子さんはカーテステレオを眺めながら、私を制する。
案の定ラジオは、再び大きな揺れがあったことを、動揺しながら伝えた。
「すごいわね!震度7の次は震度6ですって!?
これ、東京だったらゴジラが踏みつけたみたいになってんじゃない?」
その通りだと思った。このあたりは田舎だから、倒壊するものが少ない。
「…あぁ、あなた、ゴジラって知ってる?
昔そういう映画あったのよ。でっかい怪獣のこと。」
「はい。少しは。見たことないけど。」
「そうよねー。私が子供のころだもん。」
この非常事態にゴジラの話なんてしている人は、愛子さん以外にいるんだろうか?
この人はいったい、共感能力とか悲しみとかが欠如しているのか?
ちょっと精神がおかしい人なのかなと、私は思った。
もう少し話をしてみよう。彼女の人となりがわかるはずだ。
私は話題を探した。
「愛子さん?
どうして、車生活なんてしようと思ったんですか?」
夜逃げとかそういうのだろうか?借金取りに追われてるとか。
けれど、返ってきた返事はとても意外だった。
「ペイフォワードって映画、知らない?
あれもけっこう昔だから、ハナちゃん知らないかなぁ。
可愛い子役の子が出てんのよ。いい話でさ。」
「知ってますそれ。学校の授業で見ました。」あの子役は、私も好きだ。
「あの映画の主人公のお祖母ちゃん。車で暮らしてんのよ。ホームレスでさ。
私は違うわよ?飲んだくれないし、子供捨てたりもしてないわ。」
「違うんですか?」私は思わず、とても失礼なことを言ってしまった!
あわてて口を押さえたけど、もう遅い。
「あははは!違うわよ。
『社会ってめんどくさいな』って思ったの。いろいろ背負いたくないのよ。
親戚付き合いとかね、好きじゃないし。
背負いたくないから、子供も産んでないわ。だから捨てることもない。
まぁ、子供産まないってのも、義務の放棄なのかもしれないけど。」
「そうなんですか?」
「アタシはそうは思わないわよ。でも、そう考える人も多いでしょう。
『女は子供産んで一人前』『男は家族養って一人前』ってね。
アタシはそうは思わないわよ?それぞれ生き方があるわ。」
「私もです。」
実は、智子ちゃん…私の大好きなあの女優さんも、子供を産んでいない。
「子供を持ちたくない」と、潔いくらいサッパリと公言している。
なんだ。愛子さん、あの人にちょっと似てるのかな?
うーん。それはどうかな。あの人はもっと麗しい。
でもなんだか、愛子さんに親近感が沸いてきた。
そして、精神異常とか共感不全ではないのだと思った。哲学があるし。
「ペイフォワード」って、すごい優しさに満ちたストーリーだもの。
ラジオに耳を澄ませながら、愛子さんは言う。
「良かったわね。アタシたち。
車で逃亡してなかったら、もっと大きな被害に遭ってたわよ?きっと。」
そうだ。「遠くに離れたほうが良いんじゃないか」という私の判断は、
たぶん功を奏した。私はおよそ何も、被害に遭っていない。
でも…
「お母さんたち、大丈夫かな。」私は家族が心配になってきた。
避難所が家より快適だとは、私には思えない。
「しょうがないのよ。価値観の違いだわ。」
「え?」
「避難所とか住んでる町に残ってる人たちのほうが、
アタシたちより大変な思いしてると思うわ。
アタシには理解できないけど、でも『愚かね』とか言えないわよね。
住んでる町にこだわりたい人は、こだわりたいのよ。
避難所で安心する人は、避難所で安心するの。…あれ?なんか日本語ヘン?」
「いや、わかります。」
私は、ヒッチハイクする私を止めようとしたあの男性を、思い出していた。
彼は彼の正義と信念に基づいて、善意から、私を避難所に連れていこうとしたのだ。
でも、私にとってそれは、幸福ではないと感じる。から、抜け出してきた。
でも彼らはきっと、避難所で安心している。不安ながらも、安心している。
そして、「あのパーカーの子、大丈夫かな」なんて、心配しているんだろう。
『トランク1つで生きていく』