エピソード96
朝日が少しずつ昇りはじめる。
すると、空も屋根も街並みも、少しずつ色合いが変化していくのだった。なんという壮大な芸術だろう。
れいはこの、名前も付けられぬ複雑で壮大な芸術を、一人静かに鐘楼から、ぼーっと眺めていた。寒い。早朝の強風の吹く鐘楼はとても寒いが、そんなことは気にしないのだった。
物思いに耽っていた。
何もすることがなければ頭は思索を始めるものだ。
この壮麗な風景に恍惚するれいは、「私は冒険者失格なのかな」とふと思った。
他の戦士や魔法使いはもっと、魔物を倒したり悪者を退治したりすることに熱中している。しかし私はどこか上の空で、旅をしながら遭遇するこうした絶景や、サランでは体験できない出来事に恍惚している。
でもいいのかもしれない。私みたいな呑気な冒険者がいたから、この街の時計塔は救われたのかもしれないじゃないか。きっとあの戦士もその魔法使いも、こんな依頼は突っぱねているだろう。
いいか。私は私で。
だんだん日が昇り、眼下の街には人の姿が見え始める。時計はしっかり動いている。
「6時の鐘が」と宿屋の店主が言っていたのが記憶に残っており、れいはなんとなく6時までここで様子を見守っているべき気がした。そして風景を見ながらぼーっと待っていた。
6時が迫る。・・・そういえば、この鐘はどういう仕組みなのだろう?6時になるとカラクリ部屋の歯車たちが、この鐘も鳴らしてくれるのか?
やがて時計塔の時計は6時きっかりを指したが、鐘はうんともすんとも言わなかった。
1分待っても何も起こらない。やはりというか当然というか、歯車と鐘は別に連動してはいないのだった。
どうしよう?
れいは教会というものをよく知らなければ、鐘楼も鐘もよく知らない。鐘楼の鐘が普通、どんな音楽を奏でているのかよく知らないし、この鐘をどう演奏すればよいのか、知らない。
しかし懐中時計の針はもう6時5分を示している。
他でもなく朝6時の鐘を鳴らすために、れいはここに派遣されたはずだ!
まぁいいか。ちょっとでも鐘が鳴れば。住民は6時の訪れを察知するだろう。
そしてれいは、大きな鐘の真下に垂れ下がっている太い紐を、思いきり引っ張ってみた。
ゴォォォォォォォォン!!!
れ「ひぃぃぃぃ!!!」
すさまじい爆音が耳の横5センチで鳴り響き、れいは心臓が飛び出るほど驚いた!至極当たり前のことだが、れいはこんなにも大きな音だと知らないのだ。
もはや鐘の音よりもれいの悲鳴のほうが大きく響いたのではないかと、恥ずかしくなるほどだった。
しかし鐘はそのまま、リーンゴーン、リーンゴーン、と、勝手に無造作な音楽を奏で続けた。
特に難しい演奏も必要ないのだった。
「いつもより5分遅い時報でごめんなさい」れいは心の中で、街のみんなに謝った。
そうか。こんなふうにして誰かが、いつも早起きして手動で時計を動かし、手動で時報を鳴らしていたのか。
誰も知らない人々の営みで、世界は回っている。
旅は面白いな、とれいは今日も思った。