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小説の書き方は?

「どのように小説を書いているのか?」というご質問を複数いただいたので、まとめて書いてみたいと思います。

率直に言って、あまり他者さんの参考にはならないと思います^^;

 

 

独学。小説について何も学んでいないです。

まず、私にとって小説・ライトノベルは、まったくの独学です。何のスクールも講座も、ハウツー本すらも読んでいないです。

 

とはいえ、情報サイトの記事を書くためのハウツー本は少し読んでいます。また、小説を書く以前に歌の歌詞を書いていました。歌詞についても様々な基礎を論理的に理解してはいます。

 

個人的な見解としては、小説を書くにおいて、学校や講座に通う必要はないと感じています。「学校に行けば書けるようになる」というものではないです。学校に頼りすぎると、タブン書けないです。たとえば高校3年生で進路に迷うとき、小説の専門学校には行かないほうがよいと思います。

 

 

入念にプロットを組んだりもしないです。

小説の書き方を学ぶと、「書き始める前にまず入念にプロットを組むべきだ」と教わることが多いのではないでしょうか。本文を書く前に、大まかなストーリーの流れを決めたり、登場人物、その背景、起きる出来事、起承転結などを、予め決めておくべきだと。

私の場合、それをしません。

クライマックスとなる面白い出来事は書く前に決めておくようにはしていますが、それ以外はほとんどプロットを構築しないです。

行き当たりばったりで書き始めます(笑)

次にどういう事件を起こすか、どういうキャラを出すかは、書いているうちに思い浮かんでくるからです。

事前に緻密にプロットを構築しようとしても、アイデアはあまり浮かんでこないもので、書き始めて脳が興奮したほうが、アイデアが浮かびます。物語が転がり始めたほうが、続きが浮かびやすいです。

 

この書き方だと、私自身も先の展開を知らないため、書きながらワクワクして楽しんでいます(笑)

事前に決めたプロットを清書していくだけなら、あまり楽しくないかもしれません・・・

 

この「行き当たりばったり方式」には、弱点があります!

それは、「最後まで書けないかもしれない」ということです(笑)

そのため私にとって小説を書くということは、「1000時間がムダになってもいいや」という覚悟と、「フルマラソンを走り続ける覚悟」みたいなものが必要です。「書き切れないかもしれないけど書く」という勇気です。「書き切れなかったら時間も労力も損だけど書く」という無欲さです。

なので、行き当たりばったり方式を他人に勧めはしません^^;

 

 

人物や出来事の元ネタは、実体験が多い

登場人物や出来事のアイデアは、他のアニメや映画から引用してくることはあまりありません。

私の場合、自分の実際の海外放浪における体験や、人生で出会った人々をネタにしてアレンジすることが多いです。

私のラノベには、ドラクエのキャラと同じ名前の人物が多いですが、そのキャラをネタに持ってきたわけではないです。物語を書いているうちに、「あのキャラに似てるから同じ名前にしよう」というふうにしているだけです。

 

もし私の小説を面白いと感じてくださったのであれば、その要因は「元ネタが実体験だから」だと思います!

あちこちのアニメや小説から面白いエピソードを寄せ集めしても、小説は書けるでしょう。でも私は、そういうことはしませんし、好まないです。

「小説を書きたいのではない」のです。「書きたいことがあるから小説にしている」のです。

 

タブンですが、あなたが面白い小説を書きたいなら、家にこもっていないほうが良いです。海外放浪に出たほうが良いです!!!

 

 

1日に書く文字量は?

他にやることがなく、アイデアがすいすい出てくるときは、1日に1万文字以上進みます。

実を言うと、ラノベ1作目の『僧侶だけで魔王を倒すには?』は、本文だけなら1週間程度で書き終えています。10万字くらいです。誤字脱字の修正や物語の微調整で、また同じくらい日数を要します。

 

 

セオリーをあまり気にしていないです。

小説を書くにおいて、私はセオリーをあまり気にしていないです。

一流の作家さんたちを、お手本にしていないです。

私は若い頃、それなりに文学小説を読みましたし、それを楽しいとも思っていましたが、「ほとんどの文学小説は難解すぎる」と感じていました。技法に酔いしれすぎているし、形容文が長すぎると感じます。

お花の美しさを詩的に形容することは、小説においてとても大切なことだと思います。しかし、それは少ない文字でさらりとやったほうが良いと感じます。

 

また、小説のすごさとは、医療現場のリアルをまるで自分が医師であるかのように詳細に書くことではない、と感じています。「こんなこと知ってるんだぜスゴイでしょ」「こんなに調べたんだぜスゴイでしょ」ということを自慢するために小説があるわけでない、と私は思います。それを文学賞が評価するのは、良い風潮ではないと感じています。

 

私にとって小説執筆は、「読者が読みやすいこと」「読者が面白いこと」が重要です。

 

私の作品は、おそらく文学賞には通らないです。文学賞を意識して書いていないです。プロの評価を意識して書いていないです。

 

 

宮崎アニメを見て育った。

私のラノベを面白いと感じてくださったならば、その要因の1つはおそらく、私の「ポリシー」にあります。

私は子供の頃、『天空の城ラピュタ』『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』などの宮崎アニメにとても感銘を受けて育ちました。彼のこれらの作品は、「エンタメ」と「哲学」が見事に融合していました!

私は、「エンタメとはこうあるべきだ!」と10歳でもう思ったのです。

 

今の若い人たちは、昔に比べて宮崎アニメの存在感が薄いでしょう。「天空の城ラピュタを見たことがない」という人も多いと聞きます。

アニメ鑑賞の土台に『天空の城ラピュタ』『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』など特に初期の宮崎アニメのすりこみがあると、目が非常に肥えると思います。笑えるだけのアニメでは物足りなく、多面的な魅力を持つ作品を見たい・創りたいという感性が芽生えると思います。

 

 

ある意味では、誰でも書ける時代になったと思います。

小説やラノベというのは、ある意味では誰でも書ける時代になったと思います。

それは、世の中にもう、アニメやラノベ、漫画、物語が飽和したからです。無料で幾らでも見れますし、家の中で調べものができます。

冒険に出た勇者にどんな事件を体験させようかな?そのアイデアは他作品の中に無数にあって、他作品のエピソードを自分のキャラにすげ替えれば小説が書けてしまいます。極端に言えば、その繰り返しによって100巻の長編小説すら書けます。

 

プロのシナリオライターなどは、そのように他作品からのプロット拝借によってネタをストックしている人が多いはずです。そしてその柔軟性こそが「商業作家」としてはもてはやされたりします。

それが良いか悪いかは別として、そういう時代です。

 

普段、アニメを見るときに、「あ、このエピソードは私の小説でも使いたい」と思ったらどんどんとネタ帳にメモっていく、ということを繰り返していけば、お話を書くためのアイデアは割とカンタンに貯まるでしょう。

歌も絵も簡単に複製できる時代になってしまいましたが、物語にもそういうところがあります。

 

そして私は、そういう書き方は好みません(笑)

でも、あなたがしたいことをすればよいのだと思います^^そして小説を書くことのハードルは、そんなに高くないのです♪

 

 

総論

私は、自分が優秀な小説家だとは思っていません^^;

音楽(シンガーソングライター)などについてはわりと基礎から几帳面にやってきましたが、小説に関してはとても独学です。物語・小説といったものに自分なりに思うところがあり、それを貫いているだけです。社会的評価をまったく気にしていません(笑)

でも決して自分勝手に書いているのではなく、「読者にとって読みやすい」「読者にとって面白い」「読者の役立つ」作品にすることにこだわっています(*'▽')


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