episode75 『王と悟り』
episode75

ゼシカとセーニャの生徒総会騒動。これには後日談がある。
ゼ・セ「ねぇ聞いてよお兄ちゃん!」
2人は、家に帰ってから生徒総会の顛末を兄に話した。兄のソロに。
ソ「そうか。切ないもんだね」
ソロは短い言葉で2人を労った。遠くを見つめながら。
ゼ「もう!冷たくない?お兄ちゃんまで!プリンくらい買ってきてくれたっていいのに」
素っ気ないものだな、と思いきや、そうでもないのだった。彼は敢えて、言葉を短くした。2人よりも社会を知っているソロは、この問題がとても複雑であることを察していた。すると、「誰が悪い」とか「誰が憎い」という言葉を出すのは難しく、「切ない」という言葉にまとめるしかなかったのだ。
しかしソロは考えた。2人のためにしてやれることはないかと。
そして彼は、筆を執った。手紙を書いたのだ。
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拝啓 桜が丘女学院の教頭先生
私は貴校に在学するとある女生徒の祖父です。
いいえゼシカという子ではありません。出る杭が名前を名乗れば内申書に響くようですから、娘の名前は書きません。
先般の生徒総会の出来事を、孫娘から伺いました。
制服を撤廃したいという意見に対して、誰も手を挙げなかったそうな。
しかし、孫娘は言いました。「本当は私も私服がいい」と。たしかに時たまそう言っています。
さらに言うのです。
「私のマブダチのAちゃんとBちゃんとCちゃんも、私服がいいって言ってる」と。
「Dちゃんは別に制服のままでもいいらしい」と。
「仲良し5人グループのうち、4人は制服の校則を撤廃したいと思っている」そうです。
無作為から抽出された5人のうち、4人が「賛成」と言っている。
はて、これは全校生徒に直した場合、何人が、何割が賛成している計算になるのでしょうか?
呆けた私にはわかりませんので、どうぞ数学の先生に尋ねてみてはもらえませんか?
学校は何のために数学と社会科を教えているのでしょう?人生に、社会形成に活かすためですね。
教えている内容と学校の実体が乖離していては、気まずいものです。
ところで、保護者である私も、制服には反対の思いを抱いています。
なにしろ、貴校の制服は高いのですよ。うちは貧乏なものでして。
経済的に余裕のないご家庭は他にもありそうですね。そして貴校は潤っている。
たしか貴校の校訓は
「知性は人より得をするためにあるのではない
知性で社会を変えていきなさい」
でしたね。四国史の始祖皇帝の格言でしたっけ?いやぁ素晴らしい。
しかし特定のブランドにだけ高額な制服を発注することは、社会のためになっているんでしょうか?それは癒着というのでは?
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ソロはそんな手紙を書いて、そろそろと学校に持って行った。
そして教頭先生に渡す・・・のではなく、学校のポストに投函する・・・のでもなく、校庭の掲示板に、その手紙を貼っておいたのだった。
大勢の人がこの手紙を目撃するように、だ。
教頭先生にこの手紙を捨てられないように。
教頭先生にこの手紙を隠蔽されないように。
そして、大人たちの間で改めて、制服校則についての議論が起こる。
翌年、桜が丘女学院では、「私服で登校するも良し、制服で登校するも良し」という校則に塗り替えられた。
その手紙を掲示板に貼ったのは誰なのか?
結局、それは誰も知らなかった。
―――それはまさに5年ほど前のこと。
ソロは二十歳になり、世界一周とまではいかずとも海外放浪に出る貯金や自由を得た頃のことだった。
でもソロは、「もう少し家にいなければ」と思ったのだった。妹たちのために。
ソロはこんなふうに、度々小さな革命を起こしてきたのだった。
学生時代にもやった。
ソロもゼシカのように孤立し、そしてセーニャのような味方もいなかった。
しかし彼はその惨めさに負けなかった。
そして大人になっても、社長という強大な権威にすらものを言い続けた。クビすら覚悟で。仲間はおらずとも。



