エピソード23 『イエスの子らよ』
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- 2023年3月4日
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どうしたらいいのかしら?私。
恋の仕方ってわからないのよ。だいいち、まだ11才よ?
でも私、動いてみたわ。
誰もいない時間をこっそり見計らって、
教会の扉を開けてみたの。修道士さんて、あそこにいるんでしょ。
でも…
「あれ!?」
見張りのひと2人いたけど、どっちもあの彼じゃなかったわ!
2人ともおじさんだもの。絶対に違うわ。
「はぁあ。残念ね。
きっと彼、粉運びの専門なのよ。若いから、チカラ仕事任されるのね。」
エルサは言ったわ。
「はぁあ。せっかく勇気を出したのにな。」
「でも大丈夫よ。
次に小麦粉を買出しするときには、会えるってことじゃない。」
でも、そうじゃなかったわ。
次の小麦粉の日、彼は現れなかったわ。違う人が運んできたの。
その次も、そのまた次も、彼は現れなかったわ。
「はぁあ。切ないわ。」
「異動にでもなったか、修道女と触れあったのがとがめられたか。
いずれにせよ、
きっと彼、あのハンカチデートが最後のあいびきだって、わかっていたのかもね。」
「そうかもしれんな。
惜しいな。良い男じゃったのになぁ。」
「良い男だったの?あの人。」私は聞く。
「そう思うぞ。
あやつ、自分が受けた恩よりも、さらに大きなものを返そうとした。
しかも、交際できるはずもなく、
それどころか、二度と触れ合えることなどないと、わかっていながらな。
愛の深い男よ。」
「愛には、深いとか浅いとかあるの?」
「…おぬし、なーんもわかっとらんのじゃな。
まぁ、恋愛するには時期早尚じゃったな。恋敗れて正解だったのやもしれん。
それはそうと、
次の出会いまでに、学んでおかねばならんよ。おぬしも。」
「お願いしたいわ。おばあ様。」
「まずな、
女という生き物は、大きく2つに分けられる。
『恋愛したがる女』と、『恋愛したがらない女』じゃ。
マリアンヌは前者じゃし、エルサは後者じゃろうな。
どちらにせよ、恋愛は経験しておいたらいい。エルサもな。
己れが恋愛を欲しているのか否か、
また、どのような男を欲しているのか、
それは、ひととおり経験してみんと、自分でもなかなかわからん。
エルサかとて、いったん恋をしてみたなら、恋のトリコになるやもしれんよ。」
「そうかしら?無いと思うわ。」
「おほほ。まぁ、今はわからんさ。
続けるぞ?
次に、恋愛したがる女もまた、大きく2つに分けられる。
『尽くされたがる女』と、『尽くしたがる女』じゃ。
ほとんどの女は、尽くされたがる。
100人に1人か2人くらいは、尽くすことに喜びを感じる女がおる。
修道士の彼は、…彼はまぁ男じゃが…、尽くすことを喜べる側じゃよ。
じゃから、惜しいなと思う。
さてマリアンヌ?
おぬしは、どっちじゃ?尽くしたいか?尽くされたいか?」
「私!?
………わかんないわ。」
「そうじゃな。ほっほっほ。
それは、おぬしが人生の中で、自分で気づいてゆけばよい。
恋愛が好きかどうかも、どんな男を欲するかも、尽くしたいか否かも。
しかしじゃな。
恋愛が好きなら、修道院にはもう戻ってこんほうが良いぞ?
当然じゃな。修道院の中では、恋愛はできん。
あのような秘密の恋ばかりしていたんでは、心臓がもたんからな。
ましてや、口説く相手にも迷惑がかかる。サラのときのようにな。
恋愛が好きなら、いくらでも花を咲かせれば良いが、
恋にリスクはつきものじゃ。恋に限らんが、快楽を求めるなら、しがらみも多い。
まぁ、
恋愛を欲しないなら、修道院の中で暮らすほうが幸せじゃろうな。
修道院は、環境に慣れてしまえさえすれば、苦痛もしがらみも少ない。」
『イエスの子らよ』



