エピソード4 『かのんのノクターン』
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- 2023年4月14日
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エピソード4
そのため、
母の期待はかのんに一本化し、かのんは益々、重い重圧を背負った。
楽しいかどうかもよくわからないまま、青春時代をあらかたピアノに注ぎ込んだ。
アルバイトも知らず、恋も知らないまま、
しかしかのんは見事、音大進学に成功する。
かのんは、音大に入学すれば何か一つの息抜きがあると思っていた。
部下を得た上司が忙殺から逃れるように、
自分も何か、もう少し優遇されたラクなポジションにありつけると思っていた。
しかし、現実は甘くなかった。
むしろ、その逆である。
学校に行っても、母と同じようなスパルタ教師が待っているのだ。
すると、平日も休日並みに音楽練習に明け暮れなければならない。
音楽理論や声楽など、ピアノ以外の授業もあるにはあるが、
いずれにせよ、
あのオタマジャクシの洪水みたいな真っ黒い譜面に溺れ続けなければならない。
更に、コンクールや実技試験が山のごとく襲いかかってきた。
コンクールも実技試験も、
練習よりも何倍も張り詰めた緊迫感の中で、弾かなければならない。
知る者は少ないが、
クラシックのコンクールや試験は、想像を絶するプレッシャーがかかる。
基本的に、譜面を忠実に再現しなければならないからだ。
遠い昔、リストがフィーリング(テキトウに)で弾いたアドリブソロを、
現代人は、完全に忠実に再現しなければならない。
たった5分の中に万個も並ぶ音符を、
1つも間違わずに弾ききらねばならないのだ。
そんな「譜面の忠実再現」は最低限の当たり前であり、
そこからさらに、表現力や独創性などの付加的要素をも求められる。
…想像を絶するほどに、ストイックな世界なのだ。
奏也が早々にドロップアウトしたのは、このためだった。
奏也はかのんよりも腕があり、また見識があったため、
早い段階から大学・成人レベルの世界を垣間見る。
彼は、それなりに弾きこなすことも出来たが、
このプレッシャー・この几帳面さと向こう何十年も付き合うのは、苦しすぎると悟った。
母は、母自身もピアノの名手であったが、
かといって音大の過酷さを実際に体験したわけではなかった。
音大で何が行われるか、それを充分には知らないまま、
わが子をそこへと送り込んだのだった。
かのんは、決して優等生ではなかったが、
それでもくじけずに、課題をこなしていった。
かのんは、従順すぎるほど従順な性格をしている。それに根性はあるのだ。
親にも教師にも口ごたえせず、そしてさぼることなく弾き続けるのだった。
かのんのそれは、まるで洗脳されたカルト宗教信者のごとくだった。
『かのんのノクターン』



