エピソード41 『トルコで見つけたドラゴンボール』
- ・
- 2023年3月13日
- 読了時間: 2分
宮殿のあとは、
クルドの村に立ち寄る。
王族の次は、庶民。
石垣の中に、石積みの小さな家屋。
道路は舗装されてナイし、店も1コもナイし、
電気も通っていない…
コレコレ!!
僕は、こういう集落に訪れるのを、
楽しみにしていたのさ♪
ある家の庭には、
刈ったばかりの羊の毛が、大量に干されていたよ。
こうして、自分たちで糸から紡いで、
洋服などを作っているんだねぇ。
彼らは、身の回りにあるモノだけで、
生活をまかなうコトが出来ちゃう。
お金にも、文明の利器にも、依存していないのさ。
すると、
もし、天変地異みたいな大きなチカラで、
住んでいる場所を追いやられるコトがあっても、
彼らは、大して困りはしないだろうさ。
対して、
僕ら日本人は、どうだい?
お金と文明の利器に、完全に依存し切ってしまってる。
僕ら日本人にとって、
「お金が無い」というコトは、
死とイコールになってしまってる…。
それは、決して、
「世界中の人々に共通する真理」というワケではなくて、
先進諸国の人々の「生活力の無さ」の、表れなんだ。
…僕は、決して、
「文明の利器を手放せ!」
と言っているんでは、ナイんだよ?(笑)
ただ、
「極度の依存を、脱出しよう」
と、言いたいのさ。
お金や文明の利器が使えないときに、
ただ絶望を嘆くだけじゃなくて、
何か、代用するアイデアや技術を持っていれば、
人々は、こんなに不安に支配されるコトは、ナイのさ♪
「着の身着のままでも、なんとか暮らせるさぁ」
という「本当の強さ」があれば、
経済がどうなろうが、政治がどうなろうが、親父が何と言おうが、
「自分の人生」を生きるコトが、出来るのさ。
知ってた?
「どのような状況にでも適応できるヒト」のことを、
「自由なヒト」っていうのさ♪
お金がいっぱいあって、親に甘やかしてもらえるヒトが
「自由なヒト」ってワケでは、ないんだぜ?
お金が無くても、親に勘当されても、 旅立てちゃうようなヒトのコトを、
「自由なヒト」って言うんだよ。
自由とは、与えられるモノじゃない。
自分で、掴み取るモノなんだ。
たくさんの成長の果てに、あるのさ。
自由を求めるなら、
キミは、不自由さの中に突っ込んでいって、
自分を成長させなくちゃいけないのさ♪
『トルコで見つけたドラゴンボール』



