エピソード7 『首長の村の掟 -真実の物語-』
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- 2023年3月12日
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宿にリュックを置いたら、
レンタサイクルを借りてきて、散策に繰り出そう。
旧市街のお堀の内側は、平坦だから、
五体満足ならば、自転車で周れるはずだよ。
レンタバイクもあるけれど、
自転車のほうが、あちこち寄り道がしやすいので、面白いと思う。
旧市街の城壁内には、
幾つもの仏教寺院がある。
同じ仏教でも、日本の寺よりは、ずいぶん煌びやかだ。
宗教観の違いが、要因しているらしい。
タイ(最北部は除く)の仏教寺院は、
各国のキリスト教会や日本の神道神社と、同じ臭いがする。
参拝者をかき集めて、カネと権力を、ガッポリ得たいのだ。
カネと権力を得たい宗教家は、
とにかく、「立派で荘厳な施設」を、建てたがる。
それだけカネがあるのなら、
寝食の無い人々のために、
寝泊り出来るような宿舎でも建てれば良いのにと思うのだけど、
どうも彼らは、そういう奉仕的な事柄には、カネは注がないようだ。
とにかく、
煌びやかな像や建築装飾に、お金を掛けている(笑)
すると、彼らは、
宗教施設ではなくテーマパーク経営の、素質がありそうだ(笑)
なぜ、煌びやかな宗教施設を建てるかと言うと、
「礼拝には大して興味の無い人間」までもを、引っ張り込みたいのだ。
そのような客人たちは、霊性は重んじないが、カネ払いは、良い(笑)
無宗教な人々は、
「とにかく、祟(たた)られたくはない」
という、後ろ向きで中途半端な宗教観だから、
宗教施設の中でだけは、礼儀正しくし、お金を捧げておこうとする。
でも、
一歩でも外に出れば、逆に、「過剰に搾取する側」に、戻る(笑)
一体全体、
宗教施設の外で行う悪事は、バレないとでも、思っているんだろうか!?
ちなみに、僕は、
あらゆる宗教宗派を信仰しない。土着も然り。
けれども、
「霊的な存在が、常に自分のそばに寄り添っている」
ということは、理解している。
(これは、書いておいたほうが良い。
読者を適切に選り分けられるだろう。)
だから、
不可視の存在にバレて、気まずいと思うような言動は、しない。
かと言って、
オナニーしているのを見られても、気まずいとは、感じない。
すると、
どの宗教の教義も、僕の価値観とは、合致しない。
ただ、
古神道や原初キリスト教は、かなり近いとは、感じる。
それでもやはり、合致しない。
ゆえに、「無宗教」の立場を、貫く。
僕は、あらゆる宗教施設に立ち入るけれど、何も信仰しない。
『首長の村の掟 -真実の物語-』



