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エピソード8 『お遍路さんの集まる喫茶店』

  • 執筆者の写真: ・
  • 2023年3月31日
  • 読了時間: 2分

エピソード8

私はこれまで、

お遍路や仏教用語を使って、

無学をひけらかしてきたのですが、

実のところ、本当に、無学です…(笑)


というのも、

私は、別に、仏教徒では無いのです。

熱心に、お遍路さん方をもてなしている主人も、

やはり、仏教徒では、ありません。


仏教のことは、ほとんど、知らないのです。


仏教やお遍路についての雑学は、

ほとんど、店に連れ込んだお遍路さん方から、教わった物事なのです。



私は、

「徳を積めば、人生は豊かになる」

といった、「仏教的な価値観」は確かに持っていますが、

「仏教宗教」そのものには、

あまり魅力を感じておりませんし、必要性も、感じておりません。


私たちにとって、お遍路文化というものは、

私たちが、「奉仕的な日常生活」を実践し、

日替わりで、面白い情報を届けて下さる彼らと会話する、

ある種の「口実」に過ぎないのです。



正直私は、

お墓というものの必要性も、あまり、感じていません。

出来れば、お金を掛けずに、風葬にでもしてもらいたいものです。



しかし、

祖先や、霊的な存在に対して、無礼なのかと言えば、

そういわけでも、無いのです。

誰しも、親親族の葬儀に参列すれば、

「どうやら、肉体が滅びても、生命は存続するのだな」

といった、霊的な視点は、身に付きます。

女性は特に、そうであるようです。


ただ単純に、

祖先を敬うに当たって、

「墓」という形のものや、

「墓参り」という儀礼のものが、必要だとは、感じられないのです。


簡単に言えば、

お墓まで行かなくても、

私の祖先は、心の中で呼べば、いつでも、そばに現れてくれます。

それに、

彼岸の日に、渋滞の中を墓地まで赴くよりも、

お祖母さんの誕生日に、ケーキでもこしらえて、

一切れ切り分けてあげるようなことのほうが、

「祖先思い」のような気がして、なりません。



…皆さんは、どう思われますか?

家計を圧迫しながら、高いお墓を購入してもらって、

渋滞の中を墓地に来てもらって、

意味もわからずに手を合わせてもらいたいですか?

それをやらなかった子孫に、天罰を下しますか?


私は、どう考えてみても、

自分の誕生日に、ちょっと思い出してくれたり、

時々、「おばあちゃん、どうしたらいいかなぁ?」

なんて呼びかけてもらえるほうが、100倍も嬉しいのですが…


『お遍路さんの集まる喫茶店』

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