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エピソード131 『天空の城』

  • 執筆者の写真: ・
  • 2024年7月21日
  • 読了時間: 3分

エピソード131


ロトという名前には聞き覚えがある。

たしか昔に魔王を倒した勇者の一人だったはずだ。彼からのメッセージか。なんと!これはなかなかの絶景だ。


魔の城というのは、竜王が住んでいるいるらしい城のことだろう。

するとロトさんの意見が正しいとすれば、そこにのさばる竜王とやらは、やはり神様ではなく魔王だということになる。

それが現れた後世、勇者ロトの血を引いたラダトームの民たちは、勇者ロトの背中を追って魔王退治に繰り出すべきだったのだ。

王はそれを忘れてしまったのか?この洞窟には来なかったのか?


王のおふれを聞いた冒険者は、手強い魔物を駆逐するためにこの洞窟に向かうはずだ。それなら多くの冒険者が魔の城へ竜王退治に出撃するはずだが・・・そしてこの事件がラダトームですでに何年も続いているなら、すでに竜王とやらが退治されていてもおかしくない気がする。

ラダトームに悪さを働く竜王の決定的な証拠が、ラダトーム城のすぐそばにこうしてぬくぬくと眠り続けている。それなのに誰も退治をしない・・・。なぜなのだろう?

わかる。

結局この洞窟に潜る者たちは、報奨金目当てに魔物を狩りたいだけなのだ。すると、わざわざダンジョンに迷いながらこの最深部まで来る必要性はない。そして、ふすま一枚隔てた隣の部屋に希望を置いたまま、お金儲けに落ちぶれ続けるのだろう。


悪は、人をそそのかす。

人をそそのかす者は悪だが、その誘惑をかいくぐれない者も、やはり愚かだ。


そう思わずにはいられない、れいだった。

誘惑にそそのかされる者がいないなら、悪に加担する者がいないなら、災難はもっと小さいうちに消滅させることが出来ていたのだろう。ガンに気づいてすぐに健康的な生活をするなら、ガンは完治出来てしまうように。



れいは石板の前に佇みながら、物思いに耽る。

神父の代わりに古の勇者ロトと、対話をするかのように。

「考える」ということは大切だ。考えると、色々なことに気づく。そのすべてが正しいとは限らないが、これまでわからなかったことが見えてくる。新たな視点が得られる。

これまで幾つかの街や城を巡ってきたが、同じ様な構図が世界中にあることに気づく。

サランの村における『吊り橋の試練』と、ラダトームにおける『勇者の洞窟』は同じ目的のものだ。アライゾの荒野における『地球のへそ』も、サザンビークにおける『英雄の洞窟』も。

冒険に出る強さはあるのか?いいや、試されているのはチカラだけではない。勇気と、正義だ。


カルトのような勇者が世界には大勢いる、とデイジーやどこかの神父が言っていたが、その意味がよくわかってきた。何をしなければならないか、どこの民にしたってわかるはずなのだが、ほとんどの「勇者志望者」はそれを見失ってしまう。

そして、見失ったことにすら気づいていない。だから厄介だ。それでも自分が勇者だと思い込み、大衆の前で偉そうな顔をするのだから。

そして、勇者が自分を見失う理由の多くが、「カネ」「名声」なのだろう。

さらにはラダトーム王のように、「いいや、民を救うために大金が要るのだから」と胸を張って言い続けるのだろう。

そしてそして、民はまんまと、そんな偽善的な勇者や指導者や権威者を、崇めてしまう・・・。

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