episode61 『王と悟り』
episode61
南へと下る。魔物と戦い、そして暑さとの戦いになった。
メトン川の流域も暑かったが、この辺はそれ以上だ。ソロは気温の数字など知る由もなかったが、連続40度を超えていた。そういう地域である。
陽炎揺らめく荒涼とした岩砂漠が続くが、あちこちに野営地があった。オアシスである。

水場があり、宿屋があり、よろず屋があり、食堂がある。どの野営地も商人や盗賊で賑わっている。
すぐに冷たいジュースが欲しくなるが、感情のままに飲んでいるとお腹を壊す。
食堂では数種類のジュースを売っているが、ソロは黄色いジュースを指名した。レモネードだ。これは、例のおかみさんの食堂で、ローラがソロにサービスで出してくれた飲み物だった。それがなんとなく暑さに心地よい気がしたのだ。これは良い判断だった。
ローラは、飲み物をサービスするだけでなく、この砂漠地域の生きる知恵を教えたい意図もあった。あの母娘はただおしゃべりなだけでなく、意外と色んなことに気が利くのだった。
そういう店をなんとなく見分ける嗅覚、そういう人になんとなく声を掛けられる佇まい、そういうセンスのようなものは、良い旅をするうえでとても重要だ。
「あぁ、ローラ」ソロはレモネードを飲みながらローラのことを思い出す。そう。他人はその人生の道中で、以前出会ったあなたのことをちょくちょく考えているものだ。そして「ちょっと可愛かったなぁ」とニヤけると、HPが5回復しもする。
ソロは思いつき、ローラから貰ったショールを水で濡らしてから頭にかぶった。涼しい!これだけの工夫で大分涼しくなる。こんなに薄っぺらい布が人の防御力を上げ、日照りから命を救うなんて、奇妙な奇跡である。
やがて馬車の往来が増えてきて、人の姿が増えてきた。
大地の色はいつの間にか、薄茶色から赤に変わっている。
観光地としてのペトラに入ってきたのだ。
遺跡を見るなら、近くの町で宿を取って整えるのが良いようだった。
砂漠一帯はリンガイアのように物価が安い、と聞いていたが、この町の宿は高く、食堂も高いのだった。いわゆる観光地価格だ。
ペトラは思いのほか多くの観光客が訪れるようだった。クレアの彼氏は「我々が行くようなところじゃない」と言っていたが、富裕者っぽい人も多くいた。彼らは立派なホテルに泊まって熱中症の薬を貰い、立派な幌付き馬車に乗って安全に遺跡まで行くのだ。
拠点の町で一泊の休息を挟むと、ソロもペトラ遺跡へと出発する。
ソ「ペトラ遺跡に向かうんです」となんとなしに言うと、宿の店主は慌てたように言った。
宿「じゃぁ馬車を雇わないと!」
ソ「いや歩きでいいんですよ」
宿「馬車じゃないと入場ゲートに入れないんだよ。不法侵入がいたら困るだろう?そういうもんでさ」
ソ「えぇー」わざわざ馬車になど頼りたくない。暑いが、ソロなら歩ける。
宿「立派な馬車で快適に行けるんだからいいじゃないか」宿主はソロをなだめてくる。
ソ「立派な馬車が要らないんですよ。お金節約したいんです」
宿「それなら安い馬車もあるよ」と、彼は安い馬車を呼んでくれた。
宿「あの貴族みたいなやつは20ゴールドだが、この馬車なら10ゴールド(約1,000円)さ」
半額で済むなら、まぁいいか。観光のための体力も温存できるしな。
馬車に乗り込む。
よく見ると、御者はリンガイアの盗賊のようだった。こんなところでも金稼ぎをしているのか。
ソ「リンガイアから来ているのでは?」とソロは話し掛けた。
馬「そうだよ。昔はペトラの観光は王様が取り仕切ってたけどね。王様が政治を辞めて、仕切るヤツがいなくなっちゃったんだ。
そんで盗賊たちが代わりに馬車を走らせてんのさ」誇らしげに言っている。
入場ゲートに着くと、馬車は停まる。
馬「そこで入場券を買っておいでよ」
ソ「どうも」ソロは言われたとおりに券売所に行く。10ゴールド(約1,000円)払って入場券を買う。窓口の女性はその半券を千切り、「中へどうぞ」と言う。
どうぞ、と言われたが、向こう数百メートル、まだ粗末な道が続いている・・・。その向こうには赤土の壁があり、あの辺りが遺跡なのだと察せられるが・・・。
ソロは今の馬車に乗ろうと近寄るが、
馬「いえ、僕の役目は入場ゲートまでですよ」とニコニコ言う。
ソ「あぁ、そうですか」面倒だがまぁいい。運動不足のセレブたちと違い、歩けない距離ではない。
馬「あぁでも俺が裂け谷まで乗せてってあげましょうか?」
ソ「乗せてってくれるなら、ぜひ」
すると、
馬「じゃぁ10ゴールド(約1,000円)です」
ソ「いやぁ、さっき払ったよ?」
馬「いえ、ここからまた10ゴールドですよ」
ソ「えぇ!じゃぁいいよ!」
馬「でも乗ったほうがいいと思いますよ?もっと高価な馬車にしつこく勧誘されるだけですもの」
ソ「大した距離じゃないさ。受け流すよ」
馬「いえ、あの高い壁から、さらに細い裂け谷を3キロ行くんですよ。それ歩くのも面倒だし、馬車の勧誘を断るのも面倒だと思いますけど。高価な馬車は20ゴールドですよ?」
ソ「もう、ややこしいなぁ!」しかしこちらのほうがマシではあるようなので、しぶしぶこの男に10ゴールド払って乗ることにする。
まったく嫌らしい商売だ・・・。こういう奴らに屈したくないが、どうにも勝てない相手がいる。地の利をきかせて綿密な計算でこちらの足元を見られると、手も足も出ないことがある。
カッカッカッカッカッカ・・・馬車は暑さにメゲず黙々と走る。
やがて、目の前に赤い谷がそびえ立つ。谷がそびえる、という表現も変だが、本当にそうなのだ。そして2つの谷の間に細い道が曲がりくねりながら伸びているようだ。だから裂け谷と呼ばれている。
赤土の断層がビルのようにどこまでもそびえ立つ様子は圧巻だ。これはクレアが言っていたアンチローブの風景によく似ているのだった。この裂け谷が、すでに観光名所である。

土の壁は、なんとなく音を吸収するようだ。行き交う馬車のひずめがカッポカッポと響いているが、それ以外の音がしない。観光客も御者も、この細い小道の中ではなぜか無口になる。皆、谷をてっぺんまで見上げながら、声を上げずに感嘆している。御者でさえも、なんとなく言葉を失ってしまうと見える。
このような特殊な抜け道がどのようにして形成されたのか、よくわからない。その歴史にはなんとなく畏怖の念のようなものを感じてしまう。自然が億年を掛けて作ったのか?人が万年を掛けて切り拓いたのか?どちらにせよ、大仕事だ。
この裂け目は何なのだ!?
蹄の響く音が変わってきた。道が拓けるのか?最後の大きなカーブを曲がる。
馬「ほら、前を見ていて!」御者が促す。

ソ「うわー!」
最後のカーブは少しずつ視界を開き、まるで劇場のカーテンのようにもったいぶりながら、あの赤土の神殿を披露する!

何十メートルあるのだ?遥か昔の人が、赤土の崖を削って壮麗な神殿を築き上げたという。遥か昔?水車もエンジンも持たなかった人たちが!?それはにわかには信じがたい。
赤い土しかない極めてシンプルで素朴な、しかしどこか高度な文明や知性を匂わせるその神殿は、ソロの多面的な感性を妙にくすぐるのだった。
絵はがきで見た驚きは、一寸の虚構もなく今目の前に君臨するのだった。



