top of page

episode72 『王と悟り』

12 時間前
読了時間: 4分

episode72

ヨロハマの街 挿絵 by 生成AI
ヨロハマの街 挿絵 by 生成AI

ヨロハマの街を眺めながら歩く。

ソ「属国と言ってもそういう印象もないですね」人々は概ね平和そうに、にこやかに生きているように見える。

グ「植民地支配でもないからな。

 元々得意としていた製造業や第一次産業を任せている感が強い。ヨロハマとしては経済が潤うからそう不満もない。

 あとは軍事工業の応用や実験をしている。

 たとえばこの国には大きな馬車がある。客を10人くらいも乗せて、ガンディーノとヨロハマを定期的に往復している。いずれは馬の力を使わずにモーターだけで走らせたいらしい。

 あとは、ガンディーノの兵士などが息抜きに来る」

ソ「兵士をやらせたりはしないわけですか?」

グ「ヨロハマからガンディーノの兵士になる者もいるが、強制徴兵はしていない。

 徴兵というのは不毛だよ。そなたが言っていた通りに。」

ソ「『可哀そう』じゃなくて『不毛』?」

グ「あぁ、不毛だ。

 無理やり徴兵された兵士など、大した戦力にはならない。

 戦闘は弱いし、意欲もない。国を守ろうという覇気もない。

 『鍛え方が悪い!』と王や将軍は言ったりするが、そういう問題ではないと思う。

 私は戦争に携わる中で徴兵の不毛さを痛感したが、そなたは軍事国家に育ったわけでもないのにそれを論じたから、私は面食らった。なんという天才だ、と」


ソ「第一次産業っていうか、アートの色も濃くないですか?

 服はやたらと洒落てるし、カラフルな生活用品が多いように見えます」特に女性たちの服装が可愛らしいのだった。

グ「伝染病の影響が大きい」

ソ「伝染病?伝染病でアートって?」

グ「昔この国は、かなり勤勉な学歴主義な国だった。武器や鎧を作るには頭脳が大事だと考えていた。

 10年ほど前だったか、この国でカロナという伝染病が蔓延した。風邪の酷いやつだ。

 すると学校にまともに登校できない時期が続いた。子供たちの学力は当然落ちる。政府は相当慌てたようだが、やがて学力の落ちたカロナ世代は、その代わりにアートのセンスや手先の器用さを見せるようになった。

 先の《バンデッドチェイン》のように美しい服を器用に仕立てたり、美しい盾を作ったりする。

 複雑な形の楽器を作ったり、巧みに絵を描く者など非常に増えた」

ソ「へぇー!」

グ「製造にはもちろんインテリが不可欠だが、別に皆がインテリである必要はない。

 そして本当のインテリというのは、カロナで学校に行けなかろうが自主的な勉強でどんどん学力を身に付ける。

 結局、家や武器の製図を引くインテリの数は、別に減りはしなかったようだ。そして皮肉なことに、街を美しく彩るアートな人間だけが増えた。音楽も盛んだ。

 ヨロハマという国は、ガンディーノやカロナや、様々なことに振り回されてきたが、しかし不幸になったわけでもないのかもしれないよ。民の心情など私が共感できるわけもないが・・・なんというか、属国と製造の世相に巧みに適応しているように見えたりはする」

ソ「ふうん」



まだ賑わう街を歩いている。

ソロはふと足を停めた。

グ「どうした?」

ソ「あ、いやぁ、あの楽器ってこの街から来てたんだなぁって」

ソロは街の楽器屋に掛けられている1つのギターに目が留まったのだった。

グ「思い出があるのか?ヨロハマの楽器に?」

ソ「実は僕、ずっと音楽をやっていたんですよ。あれと同じ上等なやつを、旅立ちの前に売って金策してきたんです。

 売ったのは、まとまった旅費になるからっていうのと、音楽に見切りをつけるため、でしたね」

グ「なぜ見切りなど付ける?」

ソ「1年も2年も旅したいって言ってたら、音楽活動なんてできないんですよ。事務所にも仲間にも迷惑かかっちゃうでしょう?どっちに軸足掛けようか何年も戸惑ってきたけど、結局旅することを選んだんですよね」

グ「そうか。

 そなたも郷(くに)を捨てて、ここにいるのだな」

ソ「捨てたってほどでもないですよ。

 まぁでも・・・、

 実は極論を言えば・・・もう帰らないかもしれません」

グ「なに!?」

ソ「家族には『1年か2年か長くなる』と言いましたけど、お金がどうにかなるならさすらい続けるかもしれないし、旅先で死んじゃってもいいかなと思ってますよ。

 カレンの日常にうんざりしていて、旅に憧れたところがあります。あまりそういう感情論、精神論は人に話してないですけどね。心配されるから。

 でもとにかくカレンの日常に戻りたいとは思っていないので、旅が続くならそうしたい気もします。旅先で死ぬならそれも本望ですよ。ははは」

思い出の品を不意に目にしたとき、その時の記憶に感傷し、干渉されすぎることがある。しかし逆に、「そうか、どこにでもあるのだ」と気付いて感傷を断ち切るキッカケにすらなることもある。思い出とは必ずしも、人をナイーヴに落し込むわけではない。捉え方次第なのだ。

bottom of page