エピソード22 『全ての子供に教育を』
- ・
- 2023年3月15日
- 読了時間: 4分
エピソード22
翌日には、早速作業が開始された。
材木はどこから購入してくるのかと思ったが、
何のことはない。集落そばの森林を伐採するのだった。
作業には、集落の男性が数多く参加した。というか、外部の人間は誰もいない。
つまり、プーマは、
外部の建設会社などには委託せず、自分たちで施工するつもりなのだ。
「シロウトに家屋建設なんて可能なのか?」
と不安になったが、
よく考えてみれば、村の家々は、彼らが自分たちで建てているのだ。
村の男たちは、急に俺に愛想がよくなった。
たいてい英語は喋れないので、具体的な会話はほとんどないが、
挨拶や笑顔は、格段に増えた。
彼らにとって、俺は、雇用主なのだ。お金のカタマリのようなものだ。
そりゃご機嫌取りもしておきたくなるだろう。
俺ももちろん、建設作業に加わった。
木材を伐採するところから、手伝った。
チェーンソーなど無い。原始的なナタで行う。
俺には全く不慣れな作業なので、ほとんど運搬しか手伝えなかった。
木材を伐採するだけでも、2週間以上掛かった。
村人たちは、
休日などといったものを一切、取らなかった。
怒鳴る上司もおらず、ヒステリックな消費者も居ないため、
労働に対して、ストレスというものを感じていないらしい。
体はそれなりに酷使しているはずだが、
かと言って、村人の誰もが、相応の体力・筋力を持っている。
毎日毎日、ニコニコと笑い話をしながら、
マイペースに仕事をしている。
俺はこれまで、働くことが苦痛でしょうがなかった。
しかし、ストレスの無いこの状況下において、労働はさして苦痛ではなかった。
退屈というものは、それはそれで苦痛でありストレスであり、
すると、1日8時間くらいは労働で時間を忘れてしまうほうが、むしろ心地よい。
こう感じるのは俺だけか?
仮に、日本人から労働義務を取っ払ってやったとしても、
ひょっとすると、人はやがて、自発的に8時間くらい働こうとするのかもしれない。
大した苦痛やストレスを感じずに、だ。
男手があらかた借り出されてしまって、
村の生活は回るのだろうか?回るらしい。
普段の生計は、女手だけでまかなえるらしい。
生計というか、
お金を稼ぐような労働は、ほとんど存在していない。
基本的な生活を送るだけなら、お金などほとんど掛からないのだ。
食物は、村の共同畑でみんなで作る。お金で買う必要は無い。
そして、食物以外に必要な物など、ほとんど無に等しい。
家電などほとんど使っていないし、
Tシャツなども、数年に1度買うかどうか、といった次元らしい。
家や土地の維持にも、お金は掛からない。
地主などという搾取者は存在しないし、税金という制度も無い。
労働などせずとも、納税などせずとも、
彼らは、最低限度の生活が守られている。
税金など払わなくたって、
新たな家が必要になれば、今回のように村人総出の建設作業で賄える。
村人のための建築作業であれば、
彼らは金を要求したりはしない。
同族意識…助け合いの意識が強いのだろう。
ちなみに、
俺が村人たちに支払った賃金は、
概ね、「ぜいたく費」に当てられるらしい。
無くても別に困らない酒やラジカセなどを、購入するのだ。
どうも、
賃金労働に対する観念が、日本とは全く異なるらしい。
俺らはよく、学校建設なんぞをプレゼントされる村々を、
「貧しい村」と表現する。
「平均収入が日本人の1/20以下で…」などといったナレーションに、心を痛める。
しかし、
「低収入」というニュアンスが、俺らのイメージとは全く異なるようだ。
確かに金銭収入は俺らよりもずっと少ないが、
かと言って彼らは、生活にはさっぱり困っていない。悲壮感も無い。
対して、俺ら日本人の場合、
彼らの10倍、いや、100倍の月収を得ても尚、
明日の請求書に怯えて、戦々恐々としている。
そして毎月毎月、
うんざりするほどのストレスにさらされながら、賃金労働を行い続けなければならない…
つまり、金の存在というのは、
日本人を豊かにしていないし、楽にはしていないのかもしれない。
むしろ、金の支払いや獲得に振り回され、
俺たちは、1億総ノイローゼのような奇妙な文化に、陥ってしまっているのだ。
『全ての子供に教育を』



